ゴー宣DOJO

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切通理作
2012.3.21 01:37

暴力か武力か 現役自衛官の発言から

 ゴー宣道場選書第一弾『原発はヤバイ、核兵器は安全』(飛鳥新社)は、普段道場の場に実際足を運んでいる人や、有料動画を見ている人からも、「こうして活字で読むと新たな発見がある」という声をもらいます。

 

 道場の論議はリアルタイムの火付け役だけで終わるのではなく、後から辿り直して、そこから始められるものを汲み出し続けることこそが大事だと思っていましたので、書籍化がその強力なツールとなれば幸いです。

 

 本書では、道場本編と、道場終了直後に毎回控え室で収録している師範同士による「語らいタイム」という、有料会員用の動画でも別個にUPされているものを立て続けに収録しています。これに、会場に来た方々が書かれたアンケートの文章と、小林よしのり代表師範によるそれぞれのコメントが続きます。

 

 通常ではタイムラグを置いて触れるものを、一つの流れで読んで頂く機会となりました。

 そのことによって、見えてくるものがあると思います。

 

 たとえば、今回収録の道場の最後で、現役自衛官の方が発言されています。それ自体、かつてないことで、勇気ある発言でした。

 

 「我々は自分たちのことを暴力装置とは呼びません。武力装置だと思っています」

 

 この自衛官の方は、敵と戦いたくないと言っているのではありません。戦時において敵を殺すのは、彼にとって当り前のことです。

 

 敵を殺すのに、平時の「これは暴力では?」という意識が蘇えり、一瞬でも躊躇が出てしまうことで任務遂行に障害が出る・・・・・という理由で、「暴力」という野放図な力の発散を意味する言葉ではなく、プロの戦士として「武力」という言葉を用いている。

 

 そう発言されたのを聞いて、私は「なるほど」と思いました。

 

 しかし小林代表師範が、さらに「それでいいのか」と疑問を投げかけたのが「語らいタイム」においてでした。道場本編では時間の関係もあり、そこで終わってしまったことを、さらに検討の要ありとしたのです。

 

 武力は用いても暴力は用いないのが立派な軍隊だと言うのはやぶさかではないが、本当にそれだけの認識でいいのだろうか?

 

 「語らいタイム」では、これについて師範それぞれの認識の違いが示され、議論が続きます。

ぜひそこの部分も読んで、皆さんの意見を教えて下されば幸いです。

 

 正直、あの場に居た時の私は、「自衛隊員だってこの平時に生まれ育った日本人の一人なのだ」という前提条件で、「それでも任務を遂行する」ためには・・・・・・という、敵と向かい合った時のリアリズムからの発言があったことに、まさに机上の空論ではない、「小学生から自衛官まで」集まるゴー宣道場ならではの議論の充実に浸されていたので、順序としてはまずそこが肯われなければ・・・・・・という思いに駆られていました。

 

 しかしあれから時が経ち、日本社会の動向を見ていると、その場の熱気だけに捉われない、小林さんの深く透徹した視点を改めて感じることが出来ました。

 

 原発の問題にしても、「放射能安全神話」に立つ者は、そもそもエネルギーには負の側面があるということに決して目を向けようとしません。あれだけの事故があっても「安全だ」「体に害はない」と言い続けています。

 自衛隊にしても、軍隊ではなく災害救助隊としてありがたがり、また戦時においても、けっして「暴力」は振るわない存在・・・・・・としてだけ認識していていいのでしょうか?

 

 常に思考を止めないゴー宣道場の実践を、本を通してもまた契機にしていって下さればと思います。

 

 奇しくも本日は『わしズム』復刊号の発売日!

 『ゴー宣道場 原発はヤバい、核兵器は安全』とセットで単行本一冊分の1,890円です!

切通理作

昭和39年、東京都生まれ。和光大学卒業。文化批評、エッセイを主に手がける。
『宮崎駿の<世界>』(ちくま新書)で第24回サントリー学芸賞受賞。著書に『サンタ服を着た女の子ーときめきクリスマス論』(白水社)、『失恋論』(角川学芸出版)、『山田洋次の<世界>』(ちくま新著)、『ポップカルチャー 若者の世紀』(廣済堂出版)、『特撮黙示録』(太田出版)、『ある朝、セカイは死んでいた』(文藝春秋)、『地球はウルトラマンの星』(ソニー・マガジンズ)、『お前がセカイを殺したいなら』(フィルムアート社)、『怪獣使いと少年 ウルトラマンの作家たち』(宝島社)、『本多猪四郎 無冠の巨匠』『怪獣少年の〈復讐〉~70年代怪獣ブームの光と影』(洋泉社)など。

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