ゴー宣道場選書第一弾『原発はヤバイ、核兵器は安全』(飛鳥新社)のアマゾンの書評欄では、核政策に対するテクニカルな議論がなされてないという声が挙がっています。そういう事を話したい人は、本そっちのけで持論を述べたがります。
中には、書評欄なのに「まだ本書を読んではいないので、本書の内容そのものについてはコメントできませんが」と断って、核政策についての「私見」を書いている人すらいます。
頭の中で完璧な計画を思い描き、後は人々がその通り実行さえすれば世の中を変えられる……という「設計主義脳」とのすれ違いを感じます。
そういう人には、ゴー宣道場は初心者ばかりの集まりに見えるでしょう。
しかしそうした「設計主義脳」こそが、原発の安全神話を招いたのではないでしょうか。
問題なのは、思考のプロセスを開示し、それを共有していくことだと思うのです。そうでなければ、共感は得られません。むろん覚悟も生まれません。
本日あたりから早いところでは書店に並ぶ、『わしズム』夜明けの復刊号の『ゴーマニズム宣言』では、小林よしのりさんの皇統問題に関心を持ち始めたプロセスが描かれています。これを読んで、本当に小林さんは正直だと思いました。
はじめは、男系固執派に対しても、それで出来る手段があるのなら……としか思っていなかった。「Y染色体」を持ち出す八木秀次さんに対しても、まさかそれしか拠って立つものがないとは思わなかった……と、正直に語っています。
原発に関しても、小林さんは「昔からわしは危険だと唱えていたのだ」などとは言っていません。「核開発には必要」というぐらいにしか思っていなかったと言います。
しかし昨年の震災による原発事故で、原発を抱えるがゆえの我が国の脆さ――他国からの実にわかりやすい攻撃目標にすらなってしまう――ことに直面し、さらに、原発そのものが、核兵器を持たないことによって存在を許されているのだという、国防上の根本的な問題に気付きます。
その思考プロセスが明らかにされることで、読んでいるこちらもグイグイと引き込まれていくのです。
思考プロセスが明らかにされることの重要性。それは、決まり切っていて、格別目新しいものもないと思っていた歴史の意味合いを、いまの自分の側からめくり返すことが出来ることにあります。
『ゴー宣道場選書・原発はヤバイ、核兵器は安全』の中で、「歴史を勉強していない」というのがいまの日本人の問題だとつのだ☆ひろさんが語った時、我が身を振り返ってもその通りと思いながら、どうしても以下のことを付言せずにはおれませんでした。
自分たちは歴史を知らない……という認識はたとえば若者たちも持っている。だから「どうせ自分たちがいまから何をやったって遅い」と思っている。
でもたった一つの角度、視点が持てるだけで、干からびた、手垢のついたものと思われていた歴史を、鮮やかにめくり返すことが出来るのではないか。
それは、ゴー宣道場にはあくまでも途中から参加した私自身の実感でもあります。
硬直した脳を開き、お互いの問題としていける回路。
脳を、身体を、あらゆる角度から刺激する『ゴー宣道場 原発はヤバい、核兵器は安全』は『わしズム復刊号』とセットでなんと単行本一冊分、映画一本分の1,890円です!
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