『正論』4月号掲載の竹田恒泰氏の原稿に、さりげなく
「昭和22年に皇籍離脱した旧11宮家の一族を『旧皇族』ということにする」
と書かれている。
これには、仰天した。
改めて言うまでもなく、「旧」には「もと」「以前の状態」
という意味があって、旧皇族とは
「以前に皇族だったけれど今は皇族の身分を離れている人」のこと。
通常の語法に従う限り、それ以外にはあり得ない。
だから当然、旧皇族は昭和22年以前に皇族だった方に限られる。
それは竹田氏も先刻、承知のはずだ。
承知しているからこそ文章の中で、わざわざ()に包んで
「本稿では…」と先に引いた特殊な「旧皇族」の定義?について、
断らなければならなかったのに違いない。
しかし、このような恣意的な概念の拡大は、皇室の尊厳と
「君臣の別」について、ほんの僅かでも配慮する気持ちをを持ち合わせている者には、
とても出来ないことだろう。
「一族」というのは、伸縮自在の甚だルーズな概念で、
旧宮家系国民男子に嫁いだ女性も当てはまることになりかねないし、
今後も永く将来にわたって、旧皇族が生まれ続けることにもなろう。
旧皇族の一族は皆、旧皇族だと言い張ることは、
皇族でなかった者を皇族だったと言うに等しい暴言ではないか。
以前から旧宮家系国民男子の皇籍取得を巡る議論については、皇室と国民の区別、
「君臣の別」に混乱を持ち込みかねないと、懸念を表明してきた。
この度の「旧皇族」概念を意図的に拡大しようと企てた例など、
まさに私の心配通りのことが起こりつつあるのを、
はっきりと示すものだろう。
ただ単に、本人を「旧皇族」に含ませたくて語義を
無理やり拡張した子供じみた仕業と、笑って済む話ではあるまい。
今後、「復帰(もとの地位・任務・状態などに戻ること)」の概念も、
どう歪曲が図られるか、注意を払う必要がある。
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