ゴー宣DOJO

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切通理作
2011.9.7 00:10

公論という「花」

いよいよ9月11日(日)に行われる第17回ゴー宣道場『グローバリズムは歴史の必然か?』が迫ってきましたね。

先日、その打合せがありましたが、『ゴーマニズム宣言SPECIAL 国防論』(小学館)が発売されたばかりで、師範一同そのインパクトが強く、どうしてもグローバリズム論よりも国防論を先に語ってしまい「それは来月(1016日開催予定「第18ゴー宣道場」『国防論を語ろう!』)だよ」とお互い顔を見合わせて苦笑しました。

そうは言っても、小林さんの新著『国防論』にはTPPのことも、クローバリズムに対する日本の処し方についても、書いてあります。


否、それについて「も」書いてあるというより、『国防論』には、日本が何を守らなければならないのか、が「ゴー宣道場」のすべてのテーマと重ね合わせても一貫して浮かび上がるものとして提出されています。

たとえば、ゴー宣道場が行おうと試みているものでもある「公論」。これについて「日本国家全体の利益をもたらす公平・公正な方針」とはっきり定義づけています。

単に公や社会を意識してものを語るということではなく、「国体」を意識した選択ということと僕は受け止めました。

一個人として考えるならば、たとえば食糧だって安い方を選択した方が庶民としての身の丈に合っています。

『国防論』にも「アメリカと日本のコメの味の差はなくなってきている」という記述がありますが、かつては「安かろう悪かろう」だったものが、いまとなっては、よほど吟味しない限りたいして違いの感じられない時代になってきています。

そんな時代に、いったい何を基準に考えていけばいいのか。

「花びらは散る 花は散らない」という、海上自衛隊の、江田島にある幹部候補生学校における卒業生に贈られた言葉も、僕にはそこに重なっていくと感じられました。


日本という国をひとつの花とするならば、我々個人個人は移りゆく時の中でそのつどの生を生きている花びらのようなもの。

しかし花が花として咲けるのは、姿は見えないけれども、受け継がれていく「歴史」があるから。

『国防論』では震災後の管総理(当時)の危機管理への先延ばし、無策について国民が不信を持っても、非常時においては、あの時点での政権の継続を求める国民の心理を小林さんは、国民の側が出した「非常事態宣言」だと受け止めていました。


政治家が非常時にも関わらず目先の政権争いに目が曇っている中、国民の中に潜在的な「花びらではなく、花を守る」意識が芽吹いていることに、小林さんは着目したのだと思います。

「公論」にまで育ち、お互い意識していける力。その芽をつみ取ったり、見過ごしたりしないことが、グローバリズムに対してどう考えていけばいいのかの視座になるのかもしれません。

9月11日(日)13時、会場でお会いできない方も、「うまくいったら生放送!」となるかもしれませんので、ぜひ注目を!

http://live.nicovideo.jp/watch/lv62388215?ref=ser

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

切通理作

昭和39年、東京都生まれ。和光大学卒業。文化批評、エッセイを主に手がける。
『宮崎駿の<世界>』(ちくま新書)で第24回サントリー学芸賞受賞。著書に『サンタ服を着た女の子ーときめきクリスマス論』(白水社)、『失恋論』(角川学芸出版)、『山田洋次の<世界>』(ちくま新著)、『ポップカルチャー 若者の世紀』(廣済堂出版)、『特撮黙示録』(太田出版)、『ある朝、セカイは死んでいた』(文藝春秋)、『地球はウルトラマンの星』(ソニー・マガジンズ)、『お前がセカイを殺したいなら』(フィルムアート社)、『怪獣使いと少年 ウルトラマンの作家たち』(宝島社)、『本多猪四郎 無冠の巨匠』『怪獣少年の〈復讐〉~70年代怪獣ブームの光と影』(洋泉社)など。

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