8月6日、靖国神社境内において18〜39歳を対象とした特別講演会。
テーマは「われわれは英霊にどうこたえるか」。
第一部は小林さんと私の講演。
第二部では質疑応答。
私は前夜、小林さんの『戦争論』を改めて読み返した。
一気に読了して、感動抑え難く、なかなか寝付かれないのを無理矢理就寝。
翌日、その余韻が強烈に残るまま会場に入り、壇上で講演に及んだ。
為に、小林さんご本人がいる前で、見る人によっては過剰と感じられるほど、オマージュを呈する結果になったかも知れない。
だが、『戦争論』をもう一度、読み直した感銘の素直な発露だから、やむを得ない。
ちなみに今回、印象に残った箇所を一つだけ挙げると、280頁、特にその3コマ目だった(初版)。
小林さんはこの日、「近代に歯止めをかけよ!わしはたった一人になっても戦い抜く」と、熱く訴えられた。
ハッとしたのは、講演中「靖国神社で参拝する時、自分を省みて、いつも後ろめたさを感じる」とおっしゃったこと。
思わず我が身の傲慢さと鈍感さを振り返らされ、冷や汗が出た。
質疑応答では小林さんもブログで指摘されていたが、何人もの若者が、同様の質問を繰り返した。
日常の場面で孤立し、言葉が通じないというのだ。
これには、さすがに違和感を覚えた。
我々からの答えは、たとえそれが不十分だったとしても、既に与えられているだ。
だが、自分のことだけに精一杯で、他人のやり取りに全く無関心。
自分を他者に重ね合わせて考えてみることが出来ていない。
これでは他人に言葉が届かなくても、不思議ではないだろう。
この講演会の模様は後日、動画がアップされる予定だ。
講演会終了後、翌日ゴー宣道場が控えているのに、小林さんは「やすくに活世塾」の懇親会にわざわざ参加頂いた。
即席のサイン会のようになってしまったが、一緒に記念写真を撮ったりして、みんな大喜び。
その一方で、小林さんがお疲れにならないよう、サインや写真をねだるのをじっと我慢していた者たちもいて、健気だった。
翌日はゴー宣道場。どんな内容になるか、いつも以上に見当がつかなかった。
果てしなく低俗かつ軽薄な議論に陥る可能性も十分ある難しいテーマだ。
ところが、前半が終わった休憩時に、小林さんから「高尚になり過ぎ。もっと身近な切り口を」との声が。
そこで、控え室で切通さんと他の三人で意見の分かれた「男女で旅行に行って…」という例の話を、後半の枕に持って来ることに(この点についての笹さんの意見は聞いていなかった!)。
アンケートを読んだ限りでは、参加者の皆さんには結構、満足して頂けたようだ。
「今までで一番笑った」と書いていた方も。
確かに私も、今回が一番笑ったような気がする。
笑いながら、我々師範の本音もかなり出せたし、自分自身にも得るところが多かった。
こんなテーマを提案された小林さんに脱帽。
今回たまたま、小林さんと2日連続で同じ行事に参加させて頂いた。
そこで改めて痛感したのは、この人はただ天才というだけでなく、自分の仕事(広い意味での)には決して手を抜かない方だな、ということ。
妥協なく、いつもギリギリまで、最高最善を目指す。
その積み重ねが、現在の「小林よしのり」という巨大な存在を築き上げた。
ゴー宣道場が16回(プラス道場生のいない1回)を数えて、いささかもマンネリに堕さず、どんどん新鮮で刺激的になっているのも、小林さんのこうした「より上」を狙う飽くなきチャレンジ精神が、ベースにあるからだ。
とても真似しようもないが、ものごとに立ち向かう大切な姿勢を、今更ながら自分なりに学べたような気がする。