ゴー宣DOJO

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切通理作
2011.8.4 09:45

タブーになっているもの

宮崎駿が脚本を書いたスタジオジブリの最新作『コクリコ坂から』のパンフレットを読んで、80年代生まれの出演者にとって、敗戦直後も高度経済成長も「いまほどモノがなかった時代」という同じ時代認識だったことにショックを受けたのは、昨日の既述の通りです。

ただ、この映画にかかわった若者が1963年(昭和38)を敗戦直後と同一視してしまうのも無理はないと思えるのは、この『コクリコ坂から』という作品が時代の先端でなく、その時点までは残っているものをいまに伝えようとした映画だからだと思います。

「古くなったから壊すというなら
君たちの頭こそ打ち砕け!
古いものを壊すことは
過去の記憶を捨てるのと同じじゃないのか!?」

明治時代に建てられた文化部部室棟の建物の取り壊しを反対する集会で、主人公の高校生がする演説です。

この文化部部室棟の描写は、僕がこれまで色んな映画などで見てきたり、世代が上の人から聞いてきた旧制高校の学生寮の空気に似ていると思いました。

男だけの世界で、背筋をぴしっと伸ばし、語尾をだらしなくあいまいにせず、
ことあらば一致団結する。

女子も、男子の世界を外側から眺め、
その硬質な世界を側面から支援する。

女子がお掃除隊を結成し、
男子は力仕事を任され。
汚れた部室棟を一斉に
綺麗にします。

その綺麗になった建物を
見てもらおうと、
学校の理事長に直談判しに行く
というシーンがあるのですが、

理事長の初老男性は
そこに居るたたずまいだけで
ヒロインの少女が
一歩下がって男子を支えている姿に
青春の息吹を感じます。

こうした硬派な気風の名残が1963年にはまだあった。
宮崎駿はそれを伝えたかったのかなと思いました。

学生運動は思想としては「左翼」でしたが
それを語っていたのは、
「義を見てせざるは勇なりけり」という考えを持つ
硬派の若者。

その伝統も、
実は旧制高校からの、
「男は男らしく」という気風が
受け継がれていたもの。

しかしそれはなぜ、
戦後の時間が先へ進めば進むほど
失われてしまったのでしょうか。

それはまさに「戦」後だからで、
戦争をしなくなってしまったからではないでしょうか。

そして宮崎駿は、
本当はそのことを知っていたからこそ、
1963年ぐらいまでで時代を遡るのをやめ、
男らしさのオリジンを
曖昧にしているのではないでしょうか。

そのタブーは
実は笹幸恵さんの
『「日本男児」という生き方』にも
あるのです。

昨日から話題の続いているブログですが、
この話題はまだ続けたいと思います。

そしてクライマックスは、
7日のゴー宣道場にて!

切通理作

昭和39年、東京都生まれ。和光大学卒業。文化批評、エッセイを主に手がける。
『宮崎駿の<世界>』(ちくま新書)で第24回サントリー学芸賞受賞。著書に『サンタ服を着た女の子ーときめきクリスマス論』(白水社)、『失恋論』(角川学芸出版)、『山田洋次の<世界>』(ちくま新著)、『ポップカルチャー 若者の世紀』(廣済堂出版)、『特撮黙示録』(太田出版)、『ある朝、セカイは死んでいた』(文藝春秋)、『地球はウルトラマンの星』(ソニー・マガジンズ)、『お前がセカイを殺したいなら』(フィルムアート社)、『怪獣使いと少年 ウルトラマンの作家たち』(宝島社)、『本多猪四郎 無冠の巨匠』『怪獣少年の〈復讐〉~70年代怪獣ブームの光と影』(洋泉社)など。

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