午後1時から
『第15回 ゴー宣道場』
が行なわれました
会場は品川区大崎にある
「人事労務会館」 です
設営隊を担って頂きましたが、
今回の設営隊募集は、
開始から、なんと
たったの14分 で
定員に達してしまいました
過去最速です
ボランティアなのに、
毎回、意欲的に
協力して下さいます。
もう何の心配もありません
会場インタビューで聞いたところ、
なんと参加者の
9割以上の方が
既に購入されていました
その上、
サイン本も完売しました。
凄いですね
「子供にもわかるような議論をする」
と銘打って開催されました
師範方の目の前、
最前列の席には、
小学生を含む10代前半の
参加者が座っていて、
よしりん師範は議論の間、
この少年少女たちの
反応が気になって
仕方なかったようです
『戦争論』 を描いた頃や
教科書運動を始めた
12年前には、
いわゆる保守言論人でも、
天皇や皇室へ敬愛を示したり、
重要な事として捉えている人は
いなかったのに、いつの間にか
「保守だから天皇敬愛」
となって、誰もかれもが
「我こそは尊皇派」
になっていることへの
違和感を表明しました
ご忠言する程の尊皇家は、
つくる会発足当時、
高森師範に
「あなたは天皇を尊敬し過ぎだ」
と言ったそうです
「我こそは尊皇主義者」
の皆さんは、
自分はあたかも遙か昔から
尊皇派だったかのように
振る舞っていますが、
尊皇となった経緯を説明し
「自分にとっての天皇」 を
語ってみせた人はいません。
外国人にもわかるように
「天皇とは何か」 を
説明することも
できないのです。
皇統問題を論じるより
もっと手前にある
「天皇とは何なのか」
ということを、
今回は主に議論します
この問題は、
日本という国
そのものの成り立ちに
深く関わる問題なのです。
それぞれの師範方が
「自分にとっての天皇」
を語って下さいました
語るのではない天皇観は、
聞いている道場生にとっても
「自分と天皇との出会い」 を
考えさせられる、
とても貴重なものでした
本当は一人一人、
置かれている状況や
育った環境によって
全く違ってくるのに、
十把一絡げに
「国民は天皇について
こう思わなければならない」
「こういう態度で
なければならない」
と言っても説得力を持たない、
ということがわかります
周りの人に
「天皇」について説明する際、
受け売りの知識や情報ではなく、
自分の言葉で伝えるのは
どうしたら良いのか?
という想いは、
『天皇論』 シリーズを
読んだ人の多くが
共感されるのではないでしょうか?
国旗・国歌の法制化 や、
天皇陛下の
「強制でなくね」 の真意、
今の保守派の「尊皇」は、
左翼の「反天皇」に
対抗するための、
もはや「手段」となって
しまっていないか?
といった重要な
問題提起がされました
ぜひ近日中に
アップされる動画でご覧になって、
一緒に考えてみて下さい
よしりん師範が
議論の冒頭で紹介した
朝日新聞の記事に、
あなたはどう答えるでしょうか
高森師範が仰った、
戦時中の昭和10年以降の
本は買ってはいけない理由、
そして、今の自称保守派の本が
その頃の本と同じように
なってきているということ、
また、堀辺師範ほどの方が、
伝統主義者から 「アカだ」
と言われたお話などから、
天皇制支持の保守派や
尊皇派の言動が皮肉にも、
天皇や皇室に対する
“ 強ばり ” を生じさせて
いることが明らかになります
よしりん師範が目の前の
少年少女に向かって、
「天皇」について
説明してみせた瞬間です
↑ よしりん師範、少年少女に「天皇」について特別授業中
天皇陛下の
国民に対する想いや、
日本が長い時間をかけて
「権威」と「権力」を
分けてきた歴史、
そして権威を持つ
「天皇」のさらに上には
「カミ」がいるという
統治システムが、
どれほど国の秩序を
維持させているのか
これは、皆さんが
自分の子供に説明する際の
ヒントになると思いますよ
多くの方が手を挙げられました
すべての方に当てることは
できませんでしたが、
いくつもの重要な問題を
含んだ質問がされ、
面白い方向に議論が
展開していきました
日本人の信仰心についての話。
高森師範の著書
「10大天皇」の選考理由から
高森師範が伝えたかったこと。
映画『英国王のスピーチ』と
『SP革命篇』に観る
日本人の国家観。
そして天皇陛下が
決断される 「聖断」 の
本当の意味合いや
言葉の重み。
果ては 「天皇親政」 に
ついてまで議論されました
頭では理解できても
「敬愛」までには
至れないでいるという
率直な気持ちを
吐露された方も
数名おられました。
よしりん師範が
天皇陛下と直にお話しする
チャンスから逃げ出した
「宮中茶会」について
描いた『ゴー宣』を、
もし天皇陛下が読まれたら、
どう思われるだろうか?
という話に展開していきました
それは
「天皇」と「国民」の
関係についての
問題を含んでいて、
第1部の冒頭に話された
国旗・国歌の法制化の問題や、
いわゆる「尊皇派」が
生みだしている
強ばりに繋がる
重要な議論となりました。
最後に、
よしりん師範が、
「ゴー宣道場」が
やっている議論には、
毎回、連続性がある
ということを話しました
「天皇」の問題は、
前回の「原発」の問題にも
密接に関わっているのです
日本人が本来
持っていたはずの、
天皇に対する
「畏れ多い」 という感覚は、
天皇が敬っておられる
“ カミ ” という存在と
不可分です。
豊かな恵みを
与えてくれると同時に、
時に暴虐に襲いかかってくる
「畏れ」 の対象でした。
そういった
自然に対する畏れの感覚が、
カミに対する信仰となってきた。
それが日本人の
宗教心の原点です。
それなのに、
大震災によって大変な状況に
なっているにも拘わらず、
早くも 「原発再稼働」 と
言ってしまえるところを見ると、
日本人の自然に対する
畏れの感覚など、
もはやないのではないか?
コントロールできるという
科学技術信仰に陥ったら、
天皇に対する
畏れや有難味など
消えてしまうのではないか?
「自称保守派」は、
一体何を保守しようと
言うのか?
これは、今後の
「ゴー宣道場」でも引き続き、
考えていかなければ
ならない問題です
議論する際、普通は
堅苦しくなったり、
強ばりが生まれたり
するものですが、
今回の「ゴー宣道場」は
所々で笑いが起き
(よしりん師範は何度か
手を叩いて爆笑
していました・・・)、
ある門弟は
「いつも以上に優しい
空気が流れていると感じた」
と話していました。
それも、師範始め
参加者のほとんどが、
知識だけを求めたり、
自分の知識をひけらかす
ことが目的ではなく、
等身大の範囲で話せる言葉を
使っていたからではないでしょうか?
「天皇」について特別授業を
してもらった少年少女は、
最後まで残って、
設営隊のお手伝いを
嬉しそうにして、
帰っていきました
次回、
8月7日(日)
「第16回 ゴー宣道場」
のテーマは、
『戦争、震災、原発、
終わらない非日常』
と告知しましたが
変更するかもしれないので、
いつもHPをチェック
していて下さいね
(通常は毎月第2日曜日に
開催していますが、
次回8月はお盆を考慮して、
第1日曜日 に開催されます。
間違えないでねー )