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笹幸恵
2011.4.29 17:03

週刊新潮/気仙沼大島

地震発生からしばらく、無力感に包まれていました。

こんなとき、自分はどうしたらいいのか。

いったい何ができるのか。

情けないことに、しばらく仕事も手につかない状態。

そんな自分に、苛立ちすら感じました。

「何やってんだ、自分!!!」

……原点に立ち返ることにしました。

私はこれまで、何度か自衛隊の取材をしてきました。

お世話になった方がたくさんいます。

こんなときこそ、自衛隊がいま何をやっているのか、

その最前線をしかとこの目で見て、伝えていかなければ。

「それこそが自分に与えられた役目だ」

なーんて言えれば、カッコいいのだけど、

実際は「それしか思い浮かばなかった」のでした。

4月12日、私は海上自衛隊の掃海母艦「ぶんご」に同乗しました。

このときの海上での捜索活動の様子を書いた記事が掲載されました。
いま発売中の
「週刊新潮」ゴールデンウィーク特大号です。

関心のある方はぜひご覧になってみてください。

   *   *   *

さて、記事では紹介しきれなかったこと。

掃海隊群司令と共に、気仙沼の大島に上陸しました。

岸壁は、大量の瓦礫で埋めつくされていました。

ガードレールは無残に折れ曲がり、そこに車が一台、はさまっていました。

見上げるほどの高さの木の枝には、ブイがぶら下がっていました。
少し高台にある民宿らしい二階建ての家屋も、窓がすべて割れていました。
津波はそこまで押し寄せ、そしてすべてを流していきました。

公民館にいる地域代表の方々に、私は何と声をかけたら良いのか、戸惑いました。

「大変でしたね」か?

そんなもの、見りゃわかります。今だって大変。

「何かできることはありますか?」

そんなこと聞いて、いったい自分に何ができるのだろう?

「いま何が必要ですか?」

これはテレビの報道でさんざん耳にした。


「大変だと思うけど、頑張ってください」か?

すでに震災から1ヵ月。

それこそ彼らは死に物狂いで頑張っている。


住民の一人が言った。

「ようやく水道も電気も通るようになったのに、この前、大きな余震があったでしょう。

あれで、また元に戻っちゃった。復旧したのは、たった1日だけ」


このとき、私の口をついて出てきたのは

「やりきれないですね……」

という、ひと言。

たった、これだけ。

もうちょっと気のきいたことでも言えなかったのだろうかと、今でも悔やまれます。

といって、何を言ったら良かったのか、今でも私にはわかりません。

「ほんと、やりきれないですよ」

と、彼はあえて明るく切り返してくれました。

その少しさびしげな笑顔が、涙でかすみました。

(でも取材中ですから、必死で涙こらえる!)

今でも、無力感。

ただ、昨日、大島のカーフェリーが再開したという

ニュースがありました。

良かった。少しだけ、ほっとしました。
 


   *   *   *
 
報告が遅くてすみません。

「週刊新潮」、早くしないと売り切れます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

笹幸恵

昭和49年、神奈川県生まれ。ジャーナリスト。大妻女子大学短期大学部卒業後、出版社の編集記者を経て、平成13年にフリーとなる。国内外の戦争遺跡巡りや、戦場となった地への慰霊巡拝などを続け、大東亜戦争をテーマにした記事や書籍を発表。現在は、戦友会である「全国ソロモン会」常任理事を務める。戦争経験者の講演会を中心とする近現代史研究会(PandA会)主宰。大妻女子大学非常勤講師。國學院大學大学院文学研究科博士前期課程修了(歴史学修士)。著書に『女ひとり玉砕の島を行く』(文藝春秋)、『「白紙召集」で散る-軍属たちのガダルカナル戦記』(新潮社)、『「日本男児」という生き方』(草思社)、『沖縄戦 二十四歳の大隊長』(学研パブリッシング)など。

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