よしりん先生が、
被災地取材から
無事に帰って来ました
取材の報告をしてもらいます
松山、石巻に入り、
自衛隊の活動と、
被災地の状況を
取材してきました。
救援物資も届けてきました。
週末帰ったのですが、
仕事の整理に追われ、
睡眠不足と
栄養不足を補うために
少し時間を要して回復。
明日から東京を離れ、
カンヅメになって
『国防論』の描き下ろしを
始めます。
100ページくらい
描き下ろすかも。
<写真1>
<写真1>
仙台空港近くの
海上保安学校の敷地に、
津波で流されて
へしゃげた車が膨大に
積み上げられていました。
人が乗り捨てたのか?
亡くなったのか?
わかりません。
まだましな方です。
海岸近くでは
もっと泥だらけで
原型を留めない車が
山とありました。
<写真2>
<写真2>
石巻市の大川小学校では、
北上川を津波が
逆流してきて氾濫し、
児童が多数逃げ遅れて流され、
74人が死亡していました。
津波は呑み込んでいました。
子供の足では逃れるすべは
ありません。
<写真3>
<写真3>
女川町の善通寺
第14旅団の司令部指揮所で、
井上武旅団長 から
活動状況を聞きました。
<写真4>
<写真4>
同じく第14旅団の野営キャンプ。
食事も風呂も被災者優先で、
隊員たちは被災地の
人たちのためだけに
働いています。
<写真5>
<写真5>
石巻の門脇小学校近辺に、
地名が書かれた柱と、
鯉のぼりが立てられていました。
避難所のトイレを
借りるのは申し訳なく、
そこいらに立ちションしたら
遺体がありそうで、
小便を我慢するために
水分補給を我慢するしかなく、
そこが一番大変でしたね。
でも『国防論』の
仕事が終わったら、
また行きますよ、わしは。
M8クラスの余震が来て、
津波が来ようと、
原発事故で
放射能が降ってこようと、
わしは全然恐くないです。
人さまに迷惑かけそうな
ことだけが恐いですね。