私には畏友と呼ぶべき友人がいる。
彼については、旧著『天皇から読みとく日本』でも少し触れたことがある。
彼には岐阜の高校を卒業する時のエピソードがある。
彼の母校では、卒業式には当然のように国歌「君が代」を歌っていた。
ところが、急に取り止めることに。
彼と仲間たちは、例年のように国歌を歌うよう学校側に要請したが、遂に認められなかった。
そこで彼らは意を決して、式の中で国歌を歌うべき場面が来たら、自分らだけ勝手に起立して歌ってしまおうと密かに約束した。
ところが当日、式の厳粛な雰囲気に呑まれた仲間たちは、誰も立ち上がることが出来なかった。
そこで彼はたった一人、起立して最後まで歌い通したのだった。
この出来事は地元の教育委員会や議会でも取り上げられ、結局、その高校では以後、しっかり国歌を歌うことになったという。
これは、なかなか出来そうで出来ないことだろう。
一見、線が細く、決して大言壮語しない寡黙な男だが、いざという時に強いのは、むしろこういうタイプなのかも知れない。
その彼に、私は大きな負い目がある。
学生時代の一時期、ある社団法人が経営する同じ寮で暮らしていた。
彼は隣の部屋だった。
事情があって住むところを追い出された後輩を、よく考えもしないで、私の部屋に何日か泊めてやり、ある日、私は所用があって1日だけ外泊した。
ところがその夜、その後輩の寝煙草か何かが原因で、寮が全焼してしまった。
幸い死者や怪我人は出なかったが(その後輩が多少、火傷を負った程度)、賃貸契約をしていた私は一夜にして巨額の借金を背負うことになった。
だが、それは自業自得。
申し訳なかったのは、その友人の膨大な蔵書が全て燃え、長年にわたって欠かさずつけて来た日記も灰になってしまったことだ。
私だったら半狂乱になっていたかも知れない。だが、彼は顔色ひとつ変えなかった。
そして、遂に私を一言も責めなかった。
その分、慚愧の念はより深いが、今も30年来の付き合いは変わらず続いている。
彼もまた、紛れもなく「日本男児」の一人であろう。