よしりん先生が
来てくれましたよー
讃えるという
同じ「運動」をしている
笹さんと高森さん。
気をつけなければなりません。
「運動」は批評眼を奪う。
「運動」に集う人々の中には、
あなた方に適正な批評を
してくれる者はいません。
人気投票と
作品の質だけで
勝負して来た
漫画家にとっては、
チヤホヤ教は
「悪魔の囁き」 です。
漫画家は
読者の人気投票と、
編集者の辛辣な批評によって、
屈辱の連続で鍛えられます。
屈辱の連続・・・
恐らくあなた方は
経験したことがない
世界かもしれませんね。
作品を世に出す、
本を出版するということは、
恐ろしいことなのですが、
果たして覚悟があるのでしょうか?
ファンクラブに安住したら、
いずれ圧倒的多数の
一般読者の離脱を
招くことになります。
「ゴー宣道場」は
ファンクラブではありません。
わし自身がチヤホヤ教の
教祖にならないよう、
作家としては
道場生よりも常に
日本全国の読者
(まだ読んでくれてない人たちまで)
を意識するように
心掛けています。
「ゴー宣道場」は
その一般読者の中から、
時間の許す限り、
各人の現場に
支障がない限り、
強い「個」で
「公論」を創る挑戦を
始めた集団です。
伊勢の 田中卓先生 が、
「ゴー宣道場」の目的である
「公論」 の意味を知って、
「それはあなた、大事業になるよ」
と仰いました。
今の方が実感しています。
「ゴー宣道場」は、
師範も、門弟・道場生(参加者)も、
「集」よりも「個」
を強く意識しなければ
成り立ちません。
「運動」は
「集」に傾きがちですから、
「個」としての批評眼を失う。
保守論壇村の
住民のほとんどが
「運動」大好きの
体質を持ってますし、
運動を主導する者を
チヤホヤする習性を
持っています。
そういう人々からの
チヤホヤは、
確実に自分をダメにします。
チヤホヤされたって、
わしは全く嬉しくない。
そこには
「運動」メガネをかけた、
目の雲った村人が、
チヤホヤチヤホヤ
寄ってきて、
神輿にのせて
祝ってくれます。
信用してはならない
言っておきますがわしは、
「ゴー宣道場」の中で、
笹さんを 「司会」 のフィールドに
閉じ込めておくつもりは
ありません。
新聞・雑誌で
意見を表明している
表現者・言論人
ではないですか。
意見を言ってもいいのです。
ただし、笹さんが
表現者としての
活動の恐ろしさを
意識しているかどうかは、
まだわかりません。
高森さんのような
チヤホヤ教の信者が多いから、
笹さんは恐ろしさに
気付いてないように見えます。
あるのかどうか、
それが試されます。
その覚悟を
試すためには、
「ゴー宣道場」は
なかなかいい空間に
なってきました。
ぐんぐん上がってきて
いるからです。
わしも学べる道場に
なってきました。
「仲間意識」や
「集団」の存続が
第一の目的となるのが
「運動」です。
門弟の中には
わしの表現が
「仲間」や「組織」のため、
つまり「集」のために
萎縮するのではないかと
心配している者が
いるようです。
わしをなめるんじゃない
わしは漫画にせよ、
文章にせよ、
ありとあらゆる表現方法を
思いつくのだから、
わしの表現の
心配なんか
しなくてよろしい。
門弟の中には
文章が上手い者、
まだまだの者、
情熱が強い者、
お調子者、
いろいろいるが、
各人がどこで
威力を発揮するかは
わからない。
優劣をつけて
選別するような
馬鹿なマネはしない。
笹さんの本に
対してだって、
チヤホヤ教徒に
ならなくてもいいんです。
本物の批評を見て、
恐くなって逃げだせば、
笹さんの成長は
そこで終わりです。
「ゴー宣道場」は
師範方も門弟も
一般参加者も、
全員思想を孕ませられ、
成長を余儀なくされます。
「成長はいや
今のままの私を見て」
という人は、
多分逃げ出すでしょう。
逃げ出してしまわないとは
思うのですが?