2月20日、靖国神社崇敬奉賛会青年部「あさなぎ」第9回勉強会。
この勉強会では、このところ毎回、戦友の方々をお招きして、戦争体験を伺っている。
今回は、陸軍士官学校を卒業され、鉄道連隊士官としてビルマで泰面鉄道の建設などに従事された方。
熊谷陸軍飛行学校を卒業され、少年飛行兵となり、B24を撃墜、B29に損害を与える等の戦果を挙げられた方。
海軍兵学校を卒業され、陸上爆撃機「銀河」搭乗員、航空隊分隊長などを歴任された方。
府立一中から海兵団を経て、駆逐艦「潮」の乗組員としてレイテ沖海戦を経験された方。
以上の4人の方々にお話し頂いた。
一番若い方で85歳、最年長は92歳だった。
でも皆さん矍鑠とされ、記憶も鮮明で、言葉もはっきりされている。
参加した「あさなぎ」のメンバーは58名。
第1部は4つの班にわかれて、戦友の方と「膝を交える」ような近さで、詳しくお話を伺う。
私は全ての班を巡った。
第2部は私が取り仕切って、各班の代表が伺った話の要旨を発表した後、班を越えて、戦友の方々に質問し、お答え頂いた。
戦病の為にシンガポールから内地に送還される途中、船がアメリカの潜水艦の雷撃で沈没し、13時間も漂流しながら、捕虜たちが全員助け出されたのを見届けて、最後に救出してもらったという体験談は、当時の日本軍人の見事さを、参加者に強く印象付けた。
また別の方は、空中戦闘は何度経験しても、いつも怖かったと語りながら、機体の大きなB29を攻撃する時は、自機の安全を図る為、斜め上方から攻撃するのが定石なのに、それでは敵に十分損害を与えられないからと、真正面から攻撃して被弾しつつも、相手に大きな損害を与えたという話を淡々とされていた。
これも、かつての日本人の勇敢さをリアルに伝えてくれる。
お一人は、控えめにこうおっしゃった、
「亡くなった戦友が今の日本を見たら、ちょっとこんなはずじゃなかった、と言うかもしれない」と。
参加した防衛省の事務官をしている若い女性が、「お話を伺っていて、恥ずかしくて仕方がなかった」と、感想を語っていた。
今回も「あさなぎ」のメンバーにとって得難い勉強の場になった。
ご参加頂いた戦友の方々に、改めて深甚の感謝の意を表したい。