昨日は、有本師範との
から、発展させた
「若者の現実を大人はどう考える」
というテーマでした
お2人が、まさによしりん先生の言う
「強者」としての気概でもって、
若者の現実と未来について
熱く語っていましたよ
(そろそろ私も、大人としての責任を・・・)
と考えていた私にとっても、
ドンピシャなテーマで、
とても面白く勉強になりました
そして、その後は
堀辺師範も合流されて、
「ゴー宣道場」の
今後について話し、
本気度を確かめ合って
おられました
門弟たちや道場のレベルが
格段に上がって来たことについて、
「この道場に参加できていることに
武者震いを感じますよ」
と堀辺師範が仰っていました。
私は3人のお話を聞いていて、
(あ、本当に「ゴー宣道場」には
日本を変えられる可能性があるんだ)
と確信を持てたのでした
衝撃的な一夜でした
さて、
私が 「ロスジェネ世代」
に対して書いたことに、
色々な反応を頂きました
1970年代生まれの
それぞれのお話には、
それぞれの人生があって、
とても興味深かったです
この「ゴー宣道場」に
集まっている方達は、
世論に惑わされない
優秀な方が多いのか、
自分は1970年代生まれだけれど、
新自由主義や市場原理主義には
懐疑的だった、とか、
好んでフリーターや派遣を選んだのは
ほんの一部ではないか、とか、
一口に「ロスジェネ世代」と言っても
数年単位や環境で大分異なるのでは、
とかいう意見が多かったです
中には強烈に
「自分は “ ロスジェネ ” なんて言葉は大嫌いだ」
と仰る方もいました
それぞれの感覚をまとめてみると、
「フリーター」や「派遣」を
自ら進んで選んだ人は、
1970年代前半に多く、
後半は就職難で “ 仕方なく ”
「フリーター」や「派遣」を選んだ
という人が多いようです
一口に1970年代生まれを
「ロスジェネ世代」と言っても、
微妙に異なってくるのは当然ですね。
私の姉も
1970年代生まれですが、
「派遣」や「フリーター」
という考え方とは無縁で、
『あぶないデカ』に憧れ、
元来の正義感の強い性格も手伝って
警察官になりましたし。
(その動機もどうなの・・・って感じですが )
私が生まれた1980年代だって、
「ゆとり世代」 だの
「コギャル世代」 だの
「草食系」 だのと
不名誉な呼称がされますが、
それもわずか数年で
微妙に違ってきますし、
「嫌消費世代」 だのと呼称されても、
中にはブランド物に
目がない人だっていますし、
「内向き志向」 といっても
強烈に外国に憧れている人もいます
「団塊世代」 だって、
それぞれ違うだろうし、
よしりん先生の世代が言われた
「三無主義」 だって、果たして
よしりん先生がそうだったか?
というように、個々が
微妙に違うのは当然でしょう。
住んでいるのが都心か地方か?
大卒か高卒か?
家庭環境はどうか?
当然ですね。
いわゆるロスジェネ世代の中でも、
『フリーター』や『派遣』
という言葉に踊らされず、
地道に会社の歯車となって
働いていた人達も、たくさん
いることはわかっているのです。
ただ、それぞれのお話を聞いた上で、
「アメリカ型新自由主義」や
「終身雇用や年功序列から実力主義へ」
という流れは、
良いとは思っていないけれど、
グローバリズムの中で必然であり、
もはや避けられない
という後ろ向きの認識は、
やはり共有していたようです
「終身雇用や年功序列から実力主義」
へと向かうことが必然で、
経済の発展のためには
雇用の流動化が不可欠だ
という空気が、
世に蔓延したことは確かです。
新自由主義や市場原理主義を
積極的 に支持した実際の人数が、
「ロスジェネ世代」の全体からして
少なかったとしても、
その「ノイジーマイノリティー」に流され
小泉・竹中路線に対して、
激しく反対を表明する意欲もなく、
黙って容認してしまった
マス(大衆)の存在があったことも
間違いありません。
そういったマスの存在を
象徴する言葉として
「ロスジェネ世代」 を
私は使っています
この、世間でもて囃されている言説を
特に何も疑いもせず諦め気味に容認し、
結局は「ノイジーマイノリティー」に
流されるマスの存在は、
何も「ロスジェネ世代」だけではなく、
戦後日本に一環としてある問題でしょう。
それがマスコミによって、
よりわかりやすく政治に直結して、
「直接民主制」へと向かい出したのが
小泉政権だったのではないでしょうか?
そういうマスの存在を
何とかしなければいけないということを、
よしりん先生は『ゴー宣』で
ずっと訴えてきたのだと思います。
「弱肉強食の『新自由主義』や
『日本型雇用』の崩壊という流れは、
良いとは思っていないけれど、
グローバリズムの中で必然であり、
もはや避けられない」
「ゴー宣道場」 は
こういうイデオロギーから
日本人を解き放つ役目を
果たせるのではないでしょうか?
「仕方がない」と諦めるのではなくて、
もっと主体的に、
日本の進むべき道を考える。
“ サイレントマジョリティー ”
から一歩抜け出て
「公論」を作り上げる
そういうことを、よしりん師範は
「本気」で目指しているのだと、
私は思っています。