ゴー宣DOJO

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切通理作
2010.12.10 05:49

差別は誰が作っているのか 「同調」と「分断」

   第9回道場 『中国、チベット、台湾、そしてアメリカを分析せよ!』もいよいよ近づいてきましたね!
   
   そして、昨日12月9日までで無料配信が終わる予定だった前回(第8回)の道場『民族と国民の葛藤 アイヌ系日本人からの告発」も配信期間が延長されることになりました。
   既に先日、こちらにも自分の感想は書かせて頂きましたが、その後動画にて再見し、リアルタイムでは十分に注意を注げなかった問題についても改めて考えさせられました。

   前半部分の質問者の中で、部落差別と対比させて語っている人がいましたよね?

   部落問題は、同じ日本人であるにも関わらずある特定の人々を「違う」と名指しすることに<差別>があるという問題なのに、アイヌ問題では逆に「違う」はずの人々を「同じ」日本人だということに差別があるとする。

   しかしアイヌ問題がやっかいなのは、「違う」人々が「いる」ことに視点が促されるのにも関わらず、そのフォルダはフリーズしたままだということです。

   そして、ただ「単一民族幻想は間違っている」というところで思考停止をし続けなければならない。
  その思考停止によって、実情とは異なる「アイヌ民族」という神話が空中楼閣のように作られてしまう。

  小林よしのりさんがアイヌ利権の許される理由の一つとして、日本人が同調圧力に弱い、ということを挙げていましたよね。
  改めて動画でその発言を聴いて、ひょっとしたら、少なくともこの日本においては、同調圧力そのものが差別を日々再生産し続けているのではないかと思いました。

  森達也さんに『放送禁止歌』という本があります。
  ある歌が放送禁止になった理由を著者が調べているうちに、実は「色々事情があるんだろう」とお互いに気遣い合い、どこかに本当の理由があると思っていた自分自身を含む意識の持ち方そのものが放送禁止歌という幻を作り上げていたことに気付かされていく、という内容です。

  アイヌ問題も、いずれそうなってしまうのではないでしょうか。
  否、もうそうなってしまっているのか。
  いつになったら、そんな状況を断ち切れるのか。

  有本香さんの「日本で民族問題を言挙げる向きには、それが分断であるという警戒をしなければならない」という発言には、さもありなんと思いました。

  「同調」圧力の中で問題の実相を知ろうとしないことそのものが、差別という形の「分断」を産んでいる。
  
  国際的な視野を持ちながら健全なナショナリズムを説いてきた有本さん。
  真のナショナリズムとは、有本さんのようにハッキリものを言うことから始まるのかもしれません。
  明後日『中国、チベット、台湾、そしてアメリカを分析せよ!』での基調講演も本当に楽しみです。

  ゴー宣道場に参加することで、日本と世界の見方が変わる!?

切通理作

昭和39年、東京都生まれ。和光大学卒業。文化批評、エッセイを主に手がける。
『宮崎駿の<世界>』(ちくま新書)で第24回サントリー学芸賞受賞。著書に『サンタ服を着た女の子ーときめきクリスマス論』(白水社)、『失恋論』(角川学芸出版)、『山田洋次の<世界>』(ちくま新著)、『ポップカルチャー 若者の世紀』(廣済堂出版)、『特撮黙示録』(太田出版)、『ある朝、セカイは死んでいた』(文藝春秋)、『地球はウルトラマンの星』(ソニー・マガジンズ)、『お前がセカイを殺したいなら』(フィルムアート社)、『怪獣使いと少年 ウルトラマンの作家たち』(宝島社)、『本多猪四郎 無冠の巨匠』『怪獣少年の〈復讐〉~70年代怪獣ブームの光と影』(洋泉社)など。

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