ゴー宣DOJO

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切通理作
2010.11.12 22:18

アイヌ問題から見えるもの

      

   明日、第8回ゴー宣道場『民族と国民の葛藤アイヌ系日本人からの告発』で基調講演をされる砂澤陣さん。

  砂澤さんのお父さんが主人公のモデルの一人だったという映画『森と湖のまつり』の観賞記を先日こちらのブログで書きました。

 その後、北海道の放送局に長年勤めた皆藤健という人が書いた『「森と湖のまつり」をめぐって 武田泰淳とビッキらアイヌの人たち』(五月書店)という本を読みました。
 著者の皆藤さんは砂澤さんのお父さん・砂澤ビッキさんとも交流があったそうです。

 この本は『森と湖のまつり』の、武田泰淳による同名原作が、どのような歴史的経緯によって書かれたのかを、モデルとなった事項に言及しながら書いた本であり、現在の眼(2004年刊行)でこの作品の成立を振り返ることのできる、まとまった書物です。

 著者が指摘している点で興味深かったのは、原作者の武田泰淳が、アイヌに取材しながらも、和人に取りこまれるアイヌという図式に、55年体制が始まった当時、アメリカの属国化していった日本の国民の一人としての意識を重ね合わせていたという指摘です。引用された原作にもそう思わせる箇所が確かにあります。
 当時、アイヌに対する国民的関心はいまよりはるかに高かったことは、この原作がベストセラーになり、東映でメジャー大作として映画化になったことからも明らかです。
  アイヌへの関心には、日本人の、アメリカ型グローバリズムにこのまま取りこまれてしまっていいのかという不安と二重写しになっていた部分が、ひょっとしたらあったのかもしれません。

 もうひとつ「なるほど」と思ったことがあります。
 私は前こちらのブログで、『森と湖のまつり』での、アイヌの純血性を謳う主人公は、和人からの略奪をよしとすると書きましたが、もともと北海道の地に住んでいた彼らには、自然の恵みはそのまま我がものであり、たとえば土地を与えられてそれを耕すといった概念がなかった。
  それが「近代」の枠組みによって、土地として分けられ、自然の生き物を取っただけで「密猟」になったり、山の木を切ったら「盗伐」になったりと、はなはだ生きにくい世界になってしまった。
  つまり、和人のものを「略奪」しようとは思っていなかったけれども、従来の行為をしていただけでそうみなされたアイヌ系の人々もいたのではないか、と。
  主人公の一太郎は義賊としてその「略奪」に、「奪われたものを取り返す」という視点をもたせていましたが、それは突出した部分だったのではないかと。

  もちろん武田泰淳は当時の時点でアイヌ系の人々のそうした立場を全面的に正義としていたわけではありません。他の登場人物から説得力ある批判もさせています。
  しかしその葛藤に、他ならぬ自分たち日本人が近代化させられていくプロセスが凝縮されたものを見出していたことはいえるのかなと思いました。

  そして僕がこの本を読む一番の関心事は、砂澤陣さんのお父さんが、『森と湖のまつり』の主人公である義賊・一太郎のどういう部分のモデルになったのかということでした。

  砂澤陣さんのお父さん・砂澤ビッキさんは彫刻家であり、和人の画家であった女性と結婚したことが本で語られます。
  ここがまさに、『森と湖のまつり』における、一太郎と、画家の卵である和人の女性との邂逅そして恋愛という部分のモデルになったというのです。

  砂澤ビッキさんは夫人とともに鎌倉に移り住み、芸術家たちのサロンの一員となり世界的視野のもとで創作を展開しますが、やがて北海道に戻られたそうです。

  創作の原点である、地に根差した世界に立ち返った砂澤ビッキさんは、自然のままの樹木を素材にして作品として再構成し、生きものの息吹と衰退を表現したかったという言葉を残しています。
 それは、自然と不可分だった自分と、それを構成者として見つめる自分との往還性そのものだったのでしょうか。
  
  その芸術の世界を同じ「砂澤ビッキ」を名乗ることで継承された砂澤陣さんの世界に、僕は以前にもまして俄然興味が沸いてきました。

  明日の道場が本当に楽しみです。

皆さんと一緒に砂澤さんのお話が聴きたいです。
  会場に来られない方も、ニコニコ動画の生中継で見られますね。

  陣さんの父の砂澤ビッキさんは、政治活動向きの人ではなかったといいますが、民族衣装を着たアイヌが和人の観点で矮小化された表象として提示されることを強く嫌い、声明を出したこともあると本には書かれていました。
  小林よしのりさんがブログで発言された、道場生がアイヌの衣装を着て受付をする事に対して、砂澤陣さんが非常に寛容的だったのも、お父さんの砂澤ビッキさんが抱えた相克を、息子として違う形で乗り越えたいと思われていたのかもしれないなと思いました。

  砂澤陣さんのアイヌ問題に関するブログのタイトルは「後進民族アイヌ」ですが、父・砂澤ビッキさんに同じタイトルの作品があることも本で知りました。
 なぜアイヌ系の自らが「後進民族」と名乗っているのか。そこに込められた父子二代のどういう思いがあるのか、砂澤陣さんにお話を伺ってみたいと思います。

切通理作

昭和39年、東京都生まれ。和光大学卒業。文化批評、エッセイを主に手がける。
『宮崎駿の<世界>』(ちくま新書)で第24回サントリー学芸賞受賞。著書に『サンタ服を着た女の子ーときめきクリスマス論』(白水社)、『失恋論』(角川学芸出版)、『山田洋次の<世界>』(ちくま新著)、『ポップカルチャー 若者の世紀』(廣済堂出版)、『特撮黙示録』(太田出版)、『ある朝、セカイは死んでいた』(文藝春秋)、『地球はウルトラマンの星』(ソニー・マガジンズ)、『お前がセカイを殺したいなら』(フィルムアート社)、『怪獣使いと少年 ウルトラマンの作家たち』(宝島社)、『本多猪四郎 無冠の巨匠』『怪獣少年の〈復讐〉~70年代怪獣ブームの光と影』(洋泉社)など。

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