ゴー宣DOJO

BLOGブログ
みなぼん
2010.9.27 04:01ゴー宣道場

「ゴー宣道場」の原点

よしりん先生から、
今まで「ゴー宣道場」を支えてくれた
骨法道場生への手紙です
絵文字:記念日

参加者、そして
「ゴー宣道場」に注目して下さっている皆さんも、
「ゴー宣道場」の “ 原点 ” を確認するため、
ぜひ読んで下さい絵文字:よろしくお願いします



有本さんのブログを読んで、
その情念の籠った、
かつ理性的なナショナリズムに
つくづく感心しているわしですが、
粛々と「ゴー宣道場」の業務報告を公開します。

土曜日は数件の次期会場候補の
下見に行ってきました。
漫画制作という本業が忙しいのに、
みなぼんの運転で都内を走り回って
物件探しする羽目になろうとは・・・。

高森・宮城・堀辺・わしの4名の雑談から、
気軽にやろうと始めたものが、
こうも煩雑な雑務を呼び込むものだとは
思いもしなかった。

だが、後悔せんぞ絵文字:重要

NHKでハーバード大の白熱教室を見て、
益々自信を持った絵文字:重要

なんだ、あの幼稚な議論は絵文字:重要

東大生の幼稚さにも
つくづく呆れましたよ。

会場探しの件ですが、
料金の安い会場はほとんど塞がっています。
控え室がない会場も多い。
ネット環境が整ってない会場もある。

申込用紙に「ゴー宣道場」と書くと、
会場の予約受付係から電話がかかってきて、

「えい絵文字:重要とか、おー絵文字:重要とか、奇声を発したりしませんか?」
「床を踏みならしたりしませんか?」


と疑惑だらけの質問をされます。

「道場」という言葉が、これほどまでに
一般人に偏見を持たれているとは
思いませんでした。

今まで秘書みなぼんは
「ゴー宣道場」の生ライブを
見たことがありません。

あの骨法道場に入れないからです。

いつも道場の外の3階に上る階段に座って、
聞き耳を立てていました。

同様に、
設営を担ってくれた骨法道場生の中にも、
「ゴー宣道場」の生ライブには
参加できない人たちがいたのです。

有料動画で公開中の『ゴー宣道場・番外編』は、
そのような設営を担ってくれながら
参加できない人たちへの感謝を籠めて、
骨法道場生のためだけに開いたものです。

「ゴー宣道場」の設営を担った者が
道場内に入れず、
生ライブに参加できないという不平等は
ずっと気がかりでした。

わし自身は骨法道場が実に居心地が良かった。

それは当然で、骨法道場生が、
毎月第2日曜に一日潰して朝から設営を行い、
参加者を帰したら後片付けをして反省会を行い、
参加者の飲み会まで気にかけて、
全員が無事に家路につくまで守ることを
任務だと思ってくれていたからです。

完全に彼らにおんぶに抱っこで
我々は「ゴー宣道場」を開催していた。

それゆえに彼らの
「ゴー宣道場」への帰属心は半端ではなく、
組織防衛の感覚も芽生えてしまう。

「ゴー宣道場」は組織ではないはずなのに。

元々、彼らは堀辺師範の下で、
『ゴーマニズム宣言』をテキストにして
議論を行ったりしていたそうです。

骨法道場で「ゴー宣道場」を
行うことになったとき、堀辺師範は

「これから『ゴー宣道場』に関しては
 小林よしのりに忠誠心を発揮せよ」

と訓示したと言います。

だから骨法道場生は、
わしの考えを察して行動している。

「小林よしのりが運動を警戒してるのに、
 飲み会で運動体の擁護をしている者がいる。
 これは分派活動だ」

と考える。

「正々堂々と道場で言わず、
 陰で小林よしのりの批判をしている者がいる。」

と憤る。

彼らの「ゴー宣道場」への帰属心は、
確実に講師陣や参加者よりも強く、
わし個人への忠誠心も
泣けてくるほどに強かった。

女だったらまとめて抱いてあげてたでしょう(笑)。

まさに彼らは
「ゴー宣道場」に「さぶらう」者たち、
つまり「侍」なのです。

わしは「侍」に守られているのだから、
恐いものはない。
これは心地よいことです。

しかし、「ゴー宣道場」は組織ではなく、
小林よしのりは教祖になるために
「ゴー宣道場」を始めたのではない
絵文字:重要

例え陰口・軽口であろうとも、
わしへの異論・批判が
許されない環境を作ってしまったら、
「ゴー宣道場」は教団化してしまいます。

しかも、しょせん飲み会での
わしへの異論・批判などは戯れ言に過ぎず、
それに多数の会員が同調して
「ゴー宣道場」が分裂するようなことは、
絶対にないのです。

なぜなら「ゴー宣道場」への参加者は、
みんな現場を持つ、
常識ある大人なのですから。

「ゴー宣道場」に
魅力があれば参加するだろうし、
魅力を感じない者は去っていく。

ただそれだけのことです。

もう一度、
わしの「私」的な感覚を言います。

わしに忠誠を尽くしてくれる
骨法道場生は嬉しい存在です。

わしとしても
彼らに守られてやっていった方が、
安全で楽かもしれない。

だが、わしに同調する意見の者しか
参加できないのならば、
「公論」は生まれません。

組織や集団への帰属に取り込まれて、
「それぞれの現場を持つ≪個≫」を失ったら、
「公論」は生まれないのです。

「公」への突破口は「個人」です。

これは幕末の志士たちを
考えてみればわかると思います。

脱藩して「個人」となったときから、
天皇、そして国という「公」が
立ち上がってきたはずです。

わしは涙をのんで、
骨法道場から「ゴー宣道場」を
離脱させねばならないと考えるに至りました。

これがわしの「公」的な理由です。

これは次回道場のテーマである、
「私から公への経路」
ヒントになる考え方です。

今後は、
骨法道場生も他の一般参加者同様に、
「個人」として受け入れたいと思います。

設営を担う人は、
会員や参加者の中から、
募ることになります。

その設営の負担も、
最小限になる会場を選ぶつもりです。

そして参加資格を得た人は、
設営を手伝ってくれる人も含めて、
全員が会場内に入れるようにします。

もちろん、秘書みなぼんも
生ライブを見れるようになる。

従って今よりは
若干多めに入る会場を探しています。

さらに、時々、もっと大きな会場で
開催する準備もしています。

会員だけで成り立たせるのではなく、
やはり往復はがきでの一般応募も続行して、
流動的な要素も残さねばならないでしょう。

この辺は、みなぼんに相談して発表します。

誰も排除せず

分断する言葉を減らして

信頼をベースに

全員が楽しめる

そういう「ゴー宣道場」を目指さねばなりません。

だが忘れてならないのは、

骨法道場なしに、
「ゴー宣道場」は開始できなかった

ということです。

「ゴー宣道場」の原点である
骨法道場への感謝を忘れてはなりません。

次回、10月10日の「ゴー宣道場」は、
その原点を確認する
骨法道場での最後の開催となります。

骨法道場生に感謝して、
次期「ゴー宣道場」への希望に繋げましょう。

みなぼん

次回の開催予定

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