ゴー宣DOJO

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切通理作
2010.9.16 06:02

「第6回ゴー宣道場」後の思い

      第6回ゴー宣道場が行われて数日、私はその余波でまだなんとなく気持ちが高ぶっています。

 そんな日々でもゴー宣ネット道場の方はは更新され、わが『切通理作のせつないかもしれない』最新第8回『友松直之監督と女優「しじみ」を語る』もUPされました。

   いつもは「相槌の天才」としてパートナー役を務めてくれているしじみさんが今回病気で欠席しているのを逆手に取り、本人がいるところでは言えないことを語りまくる欠席裁判的な内容になっています。

  ぜひご覧下されば幸いです。

  http://www.nicovideo.jp/watch/1284524389

  しじみさんは次回からは復帰してくれる予定です。

  

 そしてゴー宣ネット道場では、またまた他の動画番組に出張出演してまいりました。

 今回は『有本香の夕方6時です』!

  第14回「日本人のナショナリズムを考える 前篇」

  http://www.nicovideo.jp/watch/1284215573

  第15回「日本人のナショナリズムを考える 後篇」

  http://www.nicovideo.jp/watch/1284524654

  

  私は流れで同席させて頂き、他に場所がなくて一緒に写ってるだけなのですが、実に刺激を受けました。この日感じた事は以前にもブログに書かせて頂いてましたね。

   https://www.gosen-dojo.com/index.php?action=pages_view_main&active_action=journal_view_main_detail&post_id=152&comment_flag=1&block_id=57#_57

  『自分と「日本」が切り離されている』

  

  動画の後篇では、<家族>についての僕の発言が「おまけ映像」で付いています。老人ミイラ化と育児放棄を同じ軸で語れるかどうかというテーマでビロートークしていたところを盗み撮られ(笑)、知らずに我が家の家庭事情まで暴露してしまいました。

 でも実は余談にしておくのはもったいないなと思っていた会話なので、まさか撮っていてくれていたとは嬉しいです。

 実は私と同世代の有本さんとはTwitterでは時々やり取りしている仲です。Twitterには砂澤陣さんや、最近では宮城能彦さんも参入されてます。


 
Twitterは真実をダイレクトに伝える点で良い部分もあるツールですが、単なる憂さ晴らしに使っている人もいます。民主党代表選前後の菅直人氏や小沢一郎氏に対する人々のつぶやきを見ていると、批判の対象がどちらであろうが、自分にとって身近だったり関心がある問題点において不満をぶつけてるだけの人も多いような気がしています。


  でもそれだけ争点が見えにくかったのも事実。たとえば小沢氏は菅氏と違って道州制に批判的ですが、原口一博氏は小沢氏支持でありながら道州制には積極的だったり。


  Twitter
で有本香さんが指摘されてましたが、このへんの「ねじれ」が、国民を余計混乱させているのかもしれないですね。


   9月
12日のゴー宣道場では加藤紘一氏が、自民党は「アカ」との対決でのイデオロギー勝利と経済発展を両方ともやり遂げて、もう目的がなくなってしまったとおっしゃっていました(註)。 

  「この国は目標をなくした国」だと。


   代わりに出てきた民主党も、ハナから「政権党になる」というこれまでの目的を果たしてしまっているので、これまた「大目標」を立てられない。


   そんな中で代表選を迎え、かつての「自民
VS民主」の図式を、「菅VS小沢」で不毛に繰り返しただけだったという印象を拭えません。

   そしてその後に何が始まるのか。


 そんな中で加藤氏が打ち出した

「地域ふれあい単位制」

「ふれあい学区制」

 は、昨日の日記で小林よしのりさんもおっしゃっていたように、これからの指針となるべき事項ではないかと、私も思いました。


  加藤氏が道州制に反対するのは、都道府県を支える市町村を基礎共同体と考えていることに起因しています。


  地方自治は住民自治であり、住民と直接触れ合う役人であるべき。地域リーダーの顔が見える範囲で、住民のありようについて自治体が把握しているかどうかが大事で、そうでなければ心が通じないと加藤氏はいいます。


  「その方がモノが売れる」からと、人々を土地から強引に引っぺがし流動化させてきた社会で、核家族すらバラバラにさせられつつある。

 
 共同体を失った国は消費社会の帰結であるとともに、社会主義的でもあると道場で小林さんが指摘していたのを聞いて「なるほど」と思いました。

 
 本来地域でやっていたことを国がすべてやらなきゃと考えると膨大な問題になる。共同体が分裂することで社会主義的な状況が出来する。

 

 自民党はかつて社会主義に「勝った」はずなのに、その行く果てにあったのが「社会主義的」なものだったというのは皮肉です。

 それほどまでに「近代」はもう行き詰っている。

 
 でも一方で、『夕方6時です』のおまけ映像で言ったように、大人になってからの個人の選択はどうしたってバラバラな部分は出てきます。老後の問題は本人が送ってきた人生の帰結でもあります。

 
  そんな中で、子育てという現場を見つめ直し、その単位から社会もう一度捉え返すための、小学校の「学校区」。

  これは、誰にとってもイメージできるという点でいい転回点といえるのではないでしょうか。

 
  加藤氏が道場に集まったみなさんに、「地元の小学校に通ってた人はどのくらいいますか?」と問うたら、ほぼ全員の人が手を挙げていました。


  その次に加藤氏が「地元の中学校に通ってた人は?」と問うたら手を挙げたのは半分ぐらい。道場に来る人は英才教育を受けた人が多いのかもしれませんが、もうそのぐらいから人生の分岐が始まっている人も多いのですね。


  小学校だったら多くの人が地元に通っている。まだ子供が思春期を迎える前の親たちも、より若い年齢です。町内会より、学区は「若い」。

 「子供を育てるための共同体だから、常に若返る必然性を持っている」という小林よしのりさんの説明もうなずけます。


  案外、ここが<坂の上の雲>なのかも、と思います。

  「上へ上へ」「都会へ都会へ」「近代へ近代へ」ではなく、すでにあるものの見方を変えることで、まだまだ人々の活力はそこに存在しているし、よりよい社会について考えることが出来る。

  まさに「希望の国 日本」であるかどうかは、私たち自身の意識の持ちようにもかかっているのだなと。


  加藤氏は「いま日本人が迷っているのはいいこと。いらだちはエネルギーになる」とおっしゃっていました。

   案外、私たちはいい時代に生きてるのかも……なんてこと言ったら、バブルに青春時代を送った人間の能天気ゆえ……と叱られちゃいそうですかね、有本さん!

註 実はもう一つ重要な問題が隠されており、先日の道場でも動画配信されなかった最後の部分で高森明勅氏が話されていましたが、この問題についてはいずれ高森氏が触れてくださると思います。

切通理作

昭和39年、東京都生まれ。和光大学卒業。文化批評、エッセイを主に手がける。
『宮崎駿の<世界>』(ちくま新書)で第24回サントリー学芸賞受賞。著書に『サンタ服を着た女の子ーときめきクリスマス論』(白水社)、『失恋論』(角川学芸出版)、『山田洋次の<世界>』(ちくま新著)、『ポップカルチャー 若者の世紀』(廣済堂出版)、『特撮黙示録』(太田出版)、『ある朝、セカイは死んでいた』(文藝春秋)、『地球はウルトラマンの星』(ソニー・マガジンズ)、『お前がセカイを殺したいなら』(フィルムアート社)、『怪獣使いと少年 ウルトラマンの作家たち』(宝島社)、『本多猪四郎 無冠の巨匠』『怪獣少年の〈復讐〉~70年代怪獣ブームの光と影』(洋泉社)など。

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