古本屋でこんなタイトルの本を見かけた。
『国家神道・靖国神社は甦るか』だと。
思わず「そんなもん、甦るはずないだろ!」と心の中で突っ込んでしまった。
著者も版元も確認していなければ、中身も1ページだって開いていない。
はっきり言って、本棚に収まっている背表紙をチラッと見ただけ。
だから、批判も反論も出来ないわけだが、このタイトルはないだろう、と思った。
普通、単行本のタイトルは版元が決める。
だが、必ず著者も同意しているはず。
まず、いわゆる「国家神道」が甦るか?
だが一体、誰がその復活を望んでいるのか?「国家」サイドは望んでいない。
政府も国会の多くの政治家も、「国家神道」を「甦らせよう」などとは、夢にも思っていない。
一方、「神道」関係者はどうか。
意外に思う人がいるかも知れないが、じつは同じように、望んではいないのだ。
何故か?
「国家神道」はその実態面で、宗教的伝統を軽視した「官僚支配」(心が伴わない形式主義!)の傾向が強かったからだ(葦津珍彦氏『国家神道とは何だったのか』神社新報社、ほか)。
次に、靖国神社はどうか?
靖国神社は今も、滅んでもいなければ、滅びかけてもいない。
滅んでも滅びかけてもいないものが「甦る」なんて、もともとあり得ない話だ。
一生懸命、書き上げたはずの自著に、こんな読まずに瞬殺されるようなタイトルをつける神経が、私には分からない。