皆さん、「SAPIO」、
ちゃんと 読みました?
よしりん先生、再度登場
わしが
靖国神社での昇殿参拝の作法の件で、
高森さんに叱られたと
「SAPIO」で描いたところ、
これを単なる子供っぽい反発心としか
取っていない人がいます。
情けない。
もっと熟読しなさいよ
さらにダメなのは、
神道は「宗教」だから二礼二拍手一礼は
当たり前だと言ってる人までいます。
わしは涙が出てくる。
神道は「宗教」なのか?
宗教なら「神教」と書くはずじゃないか
そもそも
神道が宗教なら政教分離に反するから、
そりゃあ靖国神社の国家護持なんか
無理に決まっています。
わしは
“ 江戸時代は神仏習合だったが、
そのときに再拝二拍手一拝はあったのか ”
と書いていますよね?
“ 出雲大社は四拍手だ ”
と書いていますよね?
“ 「再拝二拍手一拝」の
一般民衆への定着はいつか ”
を問題にしていますよね?
なんでこれらのネームに一切、
注意を払わないのですか?
『ゴーマニズム宣言』を
相当なめているなとわしは感じます。
こういう人には
漫画家は間違ってるはずで、
学者は正しいはずだという偏見、
もしくは「権威主義」の匂いがします。
「形式主義」に陥るのは、
こういう「権威主義者」であることが多いのです。
先日、
伊勢の田中卓先生のお宅を訪問しましたが、
午前中のうちに、
その日発売の「SAPIO」を購入されて、
なんと『ゴー宣』(まさに靖国会館での道場の章)の
ネームにびっしり赤線が引っ張られていました。
欄外にまで
わしは恐怖で血の気が引きました。
これほどの大権威が、
漫画のネームを
ここまでチェックしているのです
わしの書いたネームの含意を
丁寧に全部読みとって、
わし自身の知識のレベルだけでなく、
わしの考え方の分析まで
行っておられるのだろうと思いました。
これでは全部見抜かれているなと
感じてしまったのです。
やはり本物は違います。
数々の文献の一行、一語を
解読してこられた大権威は、
漫画のネームの一語、一語にまで
注意力を発揮される方だったのです。
対象は「漫画」ですよ
つまり権威主義とは
まったく無縁の人だったわけです
わしは改めて
本物の凄さを思い知りました。
靖国神社の参拝の「作法」と、
「形式主義」に陥らない精神を、
交差させて書いたこのネームには、
幾重もの仕掛けが施されており、
そう簡単に論じられる問題ではありません。
しかしこの程度の読解力では、
宮城さんが書いたブログの、
ヤマトとアルカディアの寓意性を
読みとっているのかどうかも
怪しいなと感じますね。
「権威主義者」は「形式主義」に
たやすく落ちていくのです。