現在発売中、SPA!2月11・18日合併号掲載
ゴーマニズム宣言 第259章
『お金の価値・フレンドリッチ!』の
感想をご紹介します!!
【ともピーさん】
今週のゴー宣を読みました。
火曜日に買って読んで昨日読んで、今日ももう一回読んだのですが、最初から最後まで衝撃的すぎて自分の中で消化しきれていないです。
貯金箱で保管され時を経た五百円札はおばあちゃんの愛情とよしりん少年の純真の結晶です、それはもうお金の姿をしていながらお金ではない「何か」になっています。
頭に浮かんだのは佐伯啓思が「経済学の犯罪」という本に書いていた「原・貨幣」という言葉です。
「原・貨幣」は現在の機能的な貨幣になる前の段階のものを指しています。貨幣はもともと呪術的で神聖な意味を帯びていてそれ故に他のものを購入するという独特の購買力を持ちえた、とのこと。
これは自分なりの解釈であり一つの例えになりますが、河原に転がっているほとんどの石はただの石ですが、その中に一つだけ琥珀色に光る石があったとします。
その石をある人が見つけて、綺麗だなと拾いあげて太陽に透かしてみてはその光の変化に神秘性すら見出したとします。
そして、それを肌身離さず大事に持ち歩くようになります。
ある日、食べ物に困り飢え死に寸前だったときに穀物を持って流浪の商人がやってきたとして、穀物と大事にしていた琥珀色の石を交換しないかと持ちかけたとします。
商人はその琥珀色の石を見て、綺麗だな、神秘的だなと感じてそれを所有したいと思い穀物との交換を決め、琥珀色の石を大事にしていた彼は命拾いします。
琥珀色の石が「原・貨幣」と呼ばれるもの、そんなイメージなのではないかと思っています。
佐伯啓思からしたらそれはちょっと違う、薄っぺらい解釈だと笑われるかもしれませんが。
お金とは何なのかを、たまに考えることがあってキャッシュカードや仮想通貨までできてしまった現在、それら禁止して金貨や銀貨を流通させるなどしないとお金の本当の意味とか価値とかまったくわからなくなってしまうのではないかと思っていたところ、よしりん少年は五百円札を貨幣の原点、いやそれ以前にまで戻してしまいました。
それにびっくりしたというか驚いたというか、めちゃくちゃハートフルなエピソードでありつつ、衝撃的です。
よしりん少年の五百円札は貯金箱の中で、見た目はお金のまま貨幣ではない「原・貨幣」となりさらに呪術的で神秘的で霊的な「何か」になるまで時を遡ってしまったのですから。
お金がただの「数字」になった時、そこで大きな価値観の転換が行われるのだろうなあと思います。
例えば『おぼっちゃまくん』の定番のギャグシーン「茶魔をよろしく!」。
いまだったらビットコインだか何だかで「数字」を示せば成り立ちそうだけれども、それじゃ全然面白く感じません。
やっぱり、札束という「ブツ」がなければ成り立ちません。
そこには、単に漫画として絵にならないということ以上の意味があると思うのは、私だけでしょうか?
『おぼっちゃまくん』は深い!
今週の『ゴー宣』は深い!
あなたは何を読み取ったでしょうか?
感想まだまだお待ちしております!!