拝啓
木原稔(衆議院議員・自由民主党)殿
国連の女性差別撤廃委員会勧告への日本政府の対抗措置に関して、貴兄の下記ポストを拝見しました。
こちらについて、一国民より忌憚のない思いを綴ります。
まず、ポストを見た瞬間にわき起こった感情を記すと「恥ずかしい」の一言に尽きます。
木原議員の言説は、典型的な「マウンティング」つまり、相手より優位に立つため、虚実に関わらず自らを大きく見せるために即物的な誇示を行う振る舞いです。
こういった姿勢は、天皇陛下、および皇族の皆様のなさりよう、お振る舞いとは対極に位置するものです。
特に「戦後」において、各代の天皇陛下は血統や歴史「のみ」に依る事なき上で、日本国民の統合、そして「誇り」の象徴として誰もが認めうる存在で在るために、文字通り命がけでお立場を務められています。
私自身の、皇室に対する敬愛もそうした部分に根ざしています。
静かに、しかし熱くつながる思いこそが皇室と国民(=日本)の誇りです。それを「西暦よりこっちの方が数字がデカいぞ!」という、小学生の口喧嘩のようなレベルに陥れるのは、率直に言って「幼稚」であると感じずにはいられません。
また「皇紀2685年」などという具体的な数値を持ち出すと「ファクトの問題」になり、神武天皇やそれに続く欠史八代の天皇が「現実的にあり得ない寿命」である事が「正当性の欠如」に説得力を生んでしまうという、大きな危険性が生じます。
皇統は、神話からなだらかに続く物語を、国民がおおらかに受け止めつつ、皇室の皆様の努めによって「現在進行系の信頼関係」として「実効的に」成立しています。
各種の世論調査において、国民の8〜9割は女性差別撤廃委員会の勧告に違わず「女性天皇を公認する」という意見。これが、皇統の本質的な正当性である「国民と天皇・皇室との関係性」の真髄と言えるでしょう。
しかし、その本流に対して「政府」だけが抗い、狼藉をはたらいているのが現在の構図です。
木原議員がシェアされているのとは別の、NHKによる記事を参照すると
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250129/k10014707141000.html
そもそも、女性差別撤廃委員会に日本からの拠出金は使われていないので、今回の対応は実質的な意味を全く持たず、「国内のウルサい(だけど集票のためにご機嫌をとっておきたい)人達に対するポーズ」でしかありません。
しかし、その行いによって、天皇陛下と皇室(および、それが象徴する日本国民)は「男尊女卑に固執する野蛮な存在である」と世界中から認識されるのです。
それは、木原議員にとっての本意でしょうか?
以上、一国民(しかし、同じ思いの人も多数存在すると断言できる)からの忌憚の無い声としてご認識頂けましたら幸いです。