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泉美木蘭
2025.1.16 15:19

「講書始の儀」古代、女性天皇が存在した時代の服装の話が面白かった

 高森先生から、天皇皇后両陛下はじめ、愛子さまほか皇族方がお並びになっての「講書始の儀」の映像が、YouTubeで見られると教えてもらったので、見てみた。
 著名な学者が順番に登場して、淡々と学術的な講義をするのだけど、

「古代の衣服と社会・国家・国際関係」
「産業革命サイクルと市場の質」
「サイトカインによる免疫応答の概要と科学・技術のこれから」

などなど、テーマは古代史から免疫まで縦横無尽!
 まず、こんな難しい講義を受けておられるのかと思った。
過去の「講書始の儀」も宮内庁のHPで読めるけど、難解そうなものばかり。

 講義を見ても、昼食後の私の頭ではついていけず、ほとんど何も入ってこなかったので、愛用の書き起こしAIに文書化させて、それを読みながら聞いてみた。
武田佐知子大阪大名誉教授の「古代の衣服と社会・国家・国際関係」が面白かった。

 古代の東アジアは、シナ冊封体制のなかで、それぞれの国家が「独自の演出」をすることに腐心していた。
 なかでも「衣服」は重要なアイテムで、相手との関係性や、身分の違いを即座に見定めるものであったほか、他国の人間を歓待する際に「こんなに異民族をまとめているぞ」と見せつける意味で、民族衣装をまとった者たちを従わせるなど、政治的にも大いに利用されていた。

 古代シナは、とにかく「シナの服」を配ることで、視覚的な影響力を強めようとしていた。
 唐の時代、白村江の戦いの直前には、唐の属国と化した新羅の使いが、唐の服を着て九州の筑紫にやってきたので、威嚇して追い返す事件が起きている。

 ところで、古代の日本人は、男女ともに、袖なし・ひざ丈のワンピースのような衣服を着ていて、性差がなかったらしい。
 一方、古代シナは、女帝を認めなかったので、女王の衣服が存在しなかった。
 だから、周辺国に贈っていた礼服もすべて「男性用」だった。
卑弥呼が、魏から金印と一緒に受け取った礼服も「男性用」だったはずだという。

 だが、日本人は、そもそも衣服に性差がないから、男性用の礼服をまとった卑弥呼を見ても、違和感なくそのまま受け入れたのだろうということだ。
 女性がリーダーとして治めていることに違和感もなかったわけだし、シナ男系の感覚で贈られたものを見ても、「女に男の服?」という感覚が生まれようもなかったんだろう。
 

 奈良時代になって、天皇や皇太子の礼服が作られるようになるが、東大寺の大仏開眼に臨席した聖武太上天皇、光明皇太后、娘の孝謙天皇は、性別を超えて、3人とも同じ白の礼服だった。
 その上で、天皇の位を示す冕冠(べんかん)は、娘の孝謙天皇の頭上だけにあった。男だ女だなんていう感覚が、一切なかった証拠だ。

 存亡をかけて激しく息巻く古代のシナから、「男系」の影響をビュンビュン受けていた時代でありながらも、日本には、次々と女性の天皇が現れた。
それは、もともと日本に衣服による性差がなかったことも大きく影響しているのだろうという見解だった。

 すごく面白い切り口で、 「男系男子絶対!」の人々がなにをルーツにしているのかもわかる内容だった。
 男系カルトも、この講義を聞いたほうがいいのに。
 ま、「は? トンボ?」しか言えないから理解できないかもしれないけど。

 

泉美木蘭

昭和52年、三重県生まれ。近畿大学文芸学部卒業後、起業するもたちまち人生袋小路。紆余曲折あって物書きに。小説『会社ごっこ』(太田出版)『オンナ部』(バジリコ)『エム女の手帖』(幻冬舎)『AiLARA「ナジャ」と「アイララ」の半世紀』(Echell-1)等。創作朗読「もくれん座」主宰『ヤマトタケル物語』『あわてんぼ!』『瓶の中の男』等。『小林よしのりライジング』にて社会時評『泉美木蘭のトンデモ見聞録』、幻冬舎Plusにて『オオカミ少女に気をつけろ!~欲望と世論とフェイクニュース』を連載中。東洋経済オンラインでも定期的に記事を執筆している。
TOKYO MX『モーニングCROSS』コメンテーター。
趣味は合気道とサルサ、ラテンDJ。

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