次のような記事を見かけた(友納尚子氏「愛子さまと悠仁さま」
『文藝春秋』令和7年2月号)。「実は、日赤に入社してまもない4月、
歓迎会が開かれた翌朝に、愛子さまは遅刻をしてしまった。『すみませんでした。起きられませんでした』と、
出社するなり、謝罪されたという。『両陛下は、社会人となった愛子さまを甘やかすことなく、
遅刻した日も起こさなかったそうです。
愛子さまがどのように行動して、自分で責任を取るのか、
見守られていたそうです』(…宮内庁職)」この記事に触れて、私が直ちに思い出したことがある。
それは、若き日の天皇陛下(まだ皇太子にもなっておられず
浩宮殿下と呼ばれていた)ご自身が朝寝坊で有名だった、
という事実だ。上皇陛下が皇太子でいらした昭和55年、
47歳のお誕生日を控えての記者会見(同年12月18日)の記録がある。
それを見ると、日曜日にご一家がお揃いの朝などに、
東宮御所内の食堂に据えてあるテレビを
皆様ご一緒にご覧になるという話題の中で、
記者との間にこんなやり取りがあった。上皇陛下「(天皇陛下は)朝は絶対一緒にならない。」
記者「はあ、なるほど。浩宮様は朝遅いから」
上皇陛下「…2人(秋篠宮殿下と黒田清子様❲当時は紀宮殿下❳)は
一緒になります。
それから美智子(上皇后陛下)と。
4人は一緒になりますけどね。
なかなかあちら(浩宮殿下=天皇陛下)は朝が遅いから」ちなみに天皇陛下の「加冠(かかん)の儀」
(成年式、上記の記者会見があったのと同じ
昭和55年の2月23日に挙行)の当日には、
秋篠宮殿下からも目覚まし時計を借りて、
合計5個(!)の目覚まし時計を用意して臨まれたという。以前、誰か評論家が“敬宮殿下が朝寝坊なら
天皇は務まらない”などと、上から目線で論評していたが…。【高森明勅公式サイト】
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