難産だった経営関係の書籍の仕事がひと段落ついて、1日休んで睡眠不足を解消した。
でも目の痛みがとれない。長い時間寝ても、細胞が元気になる数が増えるわけじゃないから、「寝貯め」は意味ないらしい。
TBSの「情熱大陸」がイチローの特番だったので、久しぶりに録画機能を使って見た。
野球選手は、現役を引退すると、打てない、投げられない、走れないという人がほとんどなのに、イチローは、今でも現役時代と変わらないトレーニングを続けていて、走り方も打ち方も投げ方も、とにかくカッコいいままなのが凄い!
最近のメジャーの野球は、テクノロジーとデータ解析がすべてで、数字として目に見えるものだけに従って動く選手だけが評価されるという世界になっていて、すっかりつまらなくなったという話もしていて、興味深かった。
イチローいわく、選手がその瞬間に自分の頭で考えて動いた結果や、その時々の感覚、メンタルがプレーに繁栄されることによって、面白い野球が生まれていたのに、そういう、数字に表れない部分がまったく顧みられなくなっていて、すごく危ないと。
私なんかは、とにかく大谷翔平と今永昇太が最高というだけで、せいぜいピッチャーの顔を見て、
「ほ~ら泣きそうな顔で投げるから、打たれたばい」
とか言ってる程度だけど、たしかに、実況も、解説者の話も、軍事技術まで応用した分析をしていて、「データ礼賛」が凄いなと思う。
データは正確に物事を分析したり、目安にしたりするには有効なものだと思うけど、「データがすべて」という考えは怖い。
つまらなくなった典型と言えば、F1レースだ。
子供の頃、鈴鹿サーキットには、近所の人と共同でチケットを買って見に行っていた。
セナ、マンセル、アレジと個性あふれる駆け引きをするF1レーサーがいて、ピットインのタイミングにもハラハラさせられ、レースの中にドラマがあってすごく面白かった。
セナが死んだときは、鈴鹿での追悼式を見に行ったぐらいだ。
でも、いつからか、F1は、データとコンピュータ制御がすべてになり、ただ車がぐるぐる走ってるだけという感じにしか見えなくなって、興味を失った。
レーシングカーそのものが、最新テクノロジーの産物だから、いずれはドライバーの力だけではどうにもならない段階へと向かっていたのだと思うけど、
「この人がかっこいい!」
「この人のこういうところに興奮する!」
みたいなものが見えなくなると、観客は熱狂できないんじゃないかなと思う。
日本人は長いものに巻かれるというけど、個人主義で個性的な選手が多かったはずのアメリカ人も、みんな「データ」に巻き取られて個性を失っているというようなことも、イチローが指摘していた。
アメリカ人も小さくなってるんだなあ。
確かに、アメリカに限らずヨーロッパを見ていても、どこまで個人や個性が尊重できている国柄なのかよくわからないなと思うことはある。
基本的に、データをどこまでも絶対視して合理化していくというのは、欧米人の体質というか「欧米的なもの」の1つなんだろうとも思う。
「GODの創ったこの世界の謎を解き明かすのが科学なのだ」という思想のもとに発展してきたのだから、信仰みたいな部分もあるだろう。
猛烈な競争社会が、その信仰を一層強めるところもあるのか。
頭でっかちになって、それぞれの感性や偶然の影響の結果、精神論、その他すごく複雑な要因が見向きされなくなれば、その世界からは、つまらない、小さな人間しか生まれなくなるのではないかと思う。
別にアメリカがそうなるのは構わないけど、日本もそれを追いかけて(野球に限らず)、ますます迷える、もはや「狂える子羊」になっていくのが嫌なんだよなあ……。
政治や社会問題の議論の中で、「エビデンスはありますか」とか、たかがコロナごときに医者がデカい顔するために流行させた科学用語をわざわざ使う人もいて、イラッとくるよ。
しかし、あまりテレビを見ない私が、番組の録画までしてしまうとは、イチローってすごい。
時々、やたらテンションが変なところも、松井秀喜に向かって先輩風をビュービュー吹かせるところも、注目せざるを得ない。
さーて、今年は、大晦日に「歌謡曲を通して日本を語る」の年越しカウントダウン生放送があるということだし、最後の最後、いや来年のスタートまでまだまだ楽しみがあるぞと思って、引き続き仕事がんばるぞー。