皇位継承問題へ真剣に取り組む思いのない(=職務放棄に等しい)政治家の常套句に「政争の具にしてはならない」というものがあります。
しかし、皇位継承問題への取り組みを放棄(=男系男子固執への白紙委任)することは、いっそう深刻な諍い、分断へとつながる危険をはらんでいます。
「皇統(父系男系)を守る国民連合の会」の葛城奈海が女子差別撤廃委員会の席上で喧伝し、男系固執の政治家なども用いる「天皇は祭祀王」「「世界にはさまざまな民族や信仰があり、それぞれ尊重されるべき」という主張は、SPA!2024年12月14日号掲載のゴー宣・愛子天皇論254章でも喝破されている通り、神道を日本の国教とした上でないと成立しません。
そうなると、総理大臣の任命、法律の公布、国会の招集といった天皇の国事行為が政教分離に違反する事になってしまいます。
男系男子固執論者の、皇位継承を信教の問題にしてしまう屁理屈は、現代の日本における天皇の在り方を根本的に否定してしまう、この上なく危険な理屈です。
我こそは保守であると声を荒げてアピールしている者たちが、実は一番の「極左」になっているお馴染みの構図が、ここでもまた展開されています。
何より、今上陛下や上皇陛下のお言葉やなさりようを見てきたら、国民統合の象徴としての在り方をどれだけ深く考え、取り組まれているかわかるはず。冒頭の葛城をはじめとする男系固執者は、天皇の権威だけを利用して自分を着飾りたい性根が丸出しの、どうしようもない俗物です。
大体、祭祀王の理屈で行くと、仏教色の強くなった時代には「その系譜が途絶えた」と解釈する事も可能になってしまいます。男系男子固執の考えと同じく、幕末〜明治の廃仏毀釈や国家神道の価値観だけでしか物事を見られないので、神話からゆるやかにつながる、本当の日本の国柄・伝統を微塵も理解できないのでしょう。
男系固執のイデオロギーに脳髄まで侵された連中は、日本で一番「伝統を理解していない」存在に他なりません。