田母神俊雄が、Xに次のようなポストを投稿していました。
一見、秋篠宮さまの「いじめ」発言を受けてのバッシング批判に見せかけつつ、このポストにはいじめの「最も根深い部分」と同じ精神性が随所に見て取れます。
まず前提として、秋篠宮家に限らず、常軌を逸した皇族バッシングを行っている者は、みな人間のクズです。たとえ愛子さまに賛美を贈っていても、同じ口で秋篠宮家の皆様を口汚く罵っている者は軽蔑しますし、むしろ愛子さま立太子への障壁にすらなっていると思います。
ご自身の感情をストレートに表明することも、裁判に訴える事もできない方たちに向けた一方的な言葉の暴力。これは「相手が皇族だから」とか「道徳的に」等で許されないというより、それを行う者たちの心に巣食う「病理」そのものです。
その病理の最も大きな特徴は「他者への共感、慮りの欠如」です。
その観点で田母神発言のこの部分を見ると、
男系で維持されてきた天皇家を壊すための策略が背後にあるのだと思う。
SNS上のバッシングや週刊誌のクズ記事には、そんな複雑な構図なんて無いですよ。ただ単に、満たされない自己の欲求不満のはけ口を探している、共感力の欠如した大衆(そういうマインドだから、自分も他者から共感されずに孤独なんだと何故気づかないのか?)と、そこに商売として燃料をくべる哀れな瀕死メディアという醜悪が存在するだけです。
田母神ポストも、男系男子絶対という自らが帰依するイデオロギーの死守しか念頭にないので、皇族への慮りではなく、安っぽい陰謀論みたいな言葉になっています。
そして、一見きれいな言葉に見える「静かに見守る」は、若い世代の皇族方の人生を左右する皇統問題の議論を放置・先延ばしし、行く行くは皇室が悠仁さまお一人だけになってしまうかもしれない危機を促進しようとするものでしかありません。
これが「いじめ」でなくて、何なのですか。
直接的に汚言を投げる者は論外ですが、「いじめ」の構図をより深くするのは、こうした「憂いてるフリをしながら一切の共感が感じられない」言葉です。
皇統問題は、制度論であると同時に、国民と皇室の未来にわたる関係性(=未来の日本の在り方)を、生身の人間として追求して行くことに他なりません。
皇統クラブ活動がさらに進むに連れ、人間としての共感力、慮りが欠如した政治家は、その本性がどんどん白日の下にさらされて行くでしょう。それは同時に「あなたもいじめグループの一員か?」という問いへの回答を、すべての議員に対して強く求める事とも同義です。
国民である我々は本気です。この熱量に対峙する覚悟を持ってください!