「光る君へ」と読む「源氏物語」第26回
第二十六帖<常夏 とこなつ>
「光る君へ」は、道長が娘を嫁がせる様子も描かれています。正妻・源倫子(黒木華さん)との間に生まれた四人の娘のうち、彰子(あきこ 見上愛さん)は第66代一条天皇に、妍子(きよこ 倉沢杏菜さん)は第67代三条天皇に入内しました。続いて威子(たけこ)は第68代後一条天皇(敦成親王 一条天皇の第二皇子 母は彰子)に入内、嬉子(よしこ)は敦良親王(第69代後朱雀天皇 一条天皇の第三皇子 母は彰子)の東宮妃となるも、親仁親王(第70代後冷泉天皇)を出産してすぐに亡くなり、後に皇太后の位を追贈されました。
道長と源明子(瀧内公美さん)との間に生まれた二人の娘のうち、寛子(ひろこ)は小一条院(三条天皇の第一皇子・敦明親王が東宮を辞退した後に贈られた尊号)に、尊子(たかこ)は後に太政大臣となる源師房に嫁ぎました。
第35回で明子の兄・俊賢(本田大輔さん)から明子の子供たちの地位を上げるよう暗に頼まれたことに対して道長は「地位が高くなることだけが人の幸せではない」と応えます。道長の娘たちの幸せは、入内することに左右されたのかどうかも、考えていただいてもいいかもしれません。
今回は、高貴な家に生まれた女性たちの有り様についてみてみましょう。
第二十六帖 <常夏 とこなつ(撫子の花の別名 光る君の歌より)>
とても暑い日に、光る君は釣殿(つりどの 寝殿造の対屋(たいのや 寝殿造で中央の主人の住む寝殿と渡殿(わたどの 渡り廊下)で繋がる建物)から南にある池に向かって伸ばされた中門廊(ちゅうもんろう)という渡殿の先端に池に臨んで作られた建物)で夕霧の中将や殿上人たちと涼み、鮎などの料理が供されます。内大臣の息子たちもやってきて、氷水を入れた水飯などを賑やかに食べています。光る君は「内大臣がよそで生ませた娘を探し出して大切にしているというのは、本当か」と内大臣の次男・弁少将(朝廷の最高機関・太政官の職である弁官と近衛府の次官・少将を兼務)に聞いたり、内大臣が玉鬘のことを知れば、大切にするだろうと思ったりしています。
夕方になり光る君は玉鬘のいる西の対に行きました。光る君を見送りについてきた公達たちは、庭で咲き乱れる撫子の花のもとに立ち寄り、心のままに手折れないのを物足りなく思いながら佇んでいます。光る君は玉鬘に、内大臣の長男・柏木の中将には、あまりそっけなくしないように諭しつつ、長年、雲居の雁と夕霧の仲を裂いている内大臣の薄情さを嘆きます。光る君と内大臣との間に起きた事情が分かった玉鬘は、娘と伝えられるのはいつになるのかと悲しむのでした。
月も出ていない頃なので、光る君は篝火の台を持ってこさせて、和琴をかきならしつつ、内大臣がこの楽器の名手であると玉鬘に話します。光る君の奏でる音色は素晴らしく「父の内大臣はこれにも優るのかしら」と思う玉鬘。光る君が弾くように勧めても玉鬘は和琴に触れようともしませんが、音を聞いて覚えようと近くに寄って「どんな風が吹き添って、こんなに美しく響くのでしょう」と首をかしげる姿が火影に美しくみえます。
「撫子の花に飽き足らないまま公達たちは立ち去ってしまいましたね。何としても内大臣に、この花園を見せましょう。この世は無常と思うけれど、昔、内大臣があなたのことを話したのも、つい今しがたのように感じます」と光る君は雨夜の品定めの際のことを少し語り、歌を詠みました。
撫子のとこなつかしき色を見ば もとの垣根を人や尋ねむ 光る君
撫子のような いつも変わらぬ慕わしいあなたに会えば 母君・夕顔の行方を父君は尋ねることでしょう
山がつの垣ほに生ひし撫子の もとの根ざしをたれか尋ねむ 玉鬘
賤しき山里の家で育った私の 母のことまで誰が尋ねてくれるでしょうか
光る君は玉鬘のもとに行くのが度重なって人に咎められそうになると、心の鬼、良心の呵責から控えるようにしています。文を絶え間なく遣わし、ただ明け暮れに玉鬘が気にかかる光る君ですが、紫の上に並べるほどの扱いはできないと分かっているので、兵部卿宮か髭黒の右大将と結婚させれば、自分の思いも絶えるだろうかと考えたり、六条院で世話をしながら婿を取り、折々に忍び逢って心慰めようかと思いついたりしています。
内大臣は、引き取った娘が女房たちからも姫君らしくないと軽んじられ、世間でも馬鹿にされていると聞いた上に、息子の弁少将が玉鬘は申し分のない姫君だと言うので「光る君の娘と思うから評判が良いのだ。子どもが少なくて心もとないのだろう。身分の低い明石の君の産んだ子は幸運に恵まれて幸せになるだろうが、いま引き取られた姫君は実の子ではないかもしれないな」などと貶しています。雲居の雁のことも残念で、夕霧がもっと昇進するまでは結婚を許さないと決心するのでした。
あれこれ思案しながら、内大臣は雲居の雁を訪ねました。うたた寝をしている雲居の雁が、薄い衣を着て横になっている様子は涼しげで可愛らしく、内大臣が扇を鳴らすと目覚めて無心に見上げる目元が赤らんでいるのは親の目にも美しく見えます。内大臣は雲居の雁の無防備さを注意しつつ、あまりにもよそよそしいのも可愛げが無いこと、明石の姫が大らかに過不足なく育てられて入内が楽しみなこと、雲居の雁も入内は難しくとも親切そうに言い寄ってくる男になびかないように、などと諭します。
内大臣は、引き取った娘・近江の君(おうみのきみ)を姉の弘徽殿女御に宮仕えさせようと考えて「見苦しいようなことがあれば、年配の女房に命じて叱って教えてやってください。ひどく軽率なところがあるようです」と伝えます。女御は「そんなにひどい人ではないのでしょう。柏木の中将が素晴らしい人と思い込んでいたのが、それ程でもなかっただけのことでしょう」と奥ゆかしい様子で応えました。
里下がりをしていた女御を訪ねたついでに、内大臣が近江の君のところを覗いてみると、五節の君という女房と双六を打っていて、手をしきりに揉んでは「小賽!小賽!(しょうさい 相手が振ったサイコロに小さい目がでるようにするおまじない)」という声が大変な早口。近江の君の容貌は、ぴちぴちとした活気と愛嬌があり、髪も美しいのですが、額が狭くて声が上ずっているのが残念なところ。取り立てて美人ではないながら他人だと否定もできず、鏡を見れば合点がゆく内大臣は、何という宿縁かとやりきれません。
「こうしてここにいても落着かず馴染めないのではありませんか。私は忙しく訪ねて上げられないので」と内大臣が言うと「ここで何の悩みもありませんけれど、長年お会いしたかった父上のお顔を、いつも見られないのは双六で良い目が出ないような心地です」と応える近江の君。
「あなたに女房のような役をしてもらって側にいてもらおうと思ったのですが、あの人の娘だとか知られるようになると親兄弟の不面目になる例も多いので」などと言えば「大げさに思って仕えれば窮屈でしょう。私は大御大壺(おおみおおつぼ おまる)の掃除の役でもしてお仕えしましょう」という近江の君に内大臣は笑ってしまいます。
「それは似つかわしくない役ですね。親孝行する気があるのなら、あなたが話す声を、もう少しゆっくりと聞かせてください。そうすれば私の寿命も延びるでしょう」と内大臣が言うと「産屋で祈祷をしていた大徳(だいとく 高徳の僧)の早口にあやかったのだろうと亡くなった母が嘆いていました。何とか早口は直しましょう」と近江の君は気にしています。
「弘徽殿女御が里下がりをされているところへ行って女房たちの立ち居振舞いなどを見習いなさい」と内大臣が伝えると「なんて嬉しいことでしょう。何としても皆さまに人並に扱っていただきたいと寝ても覚めても願って、長年、他のことは考えてもいませんでした。宮仕えを許していただけたら、水を汲み、頭に載せて運んでもお仕えいたします」と近江の君は喜んで文を撫子の花に結んで女御に届けました。
草若み常陸の浦のいかが崎 いかであひ見む田子の浦波 近江の君
田舎育ちの未熟者ですが常陸の浦や河内のいかが崎 なんとかお会いしたくて駿河の田子の浦波
地名を並べたちぐはぐな歌に合わせた返歌は、弘徽殿女御の直筆のようにして中納言の君が書きました。
常陸なる駿河の海の須磨の浦に 波立ち出でよ筥崎の松 弘徽殿女御(中納言の君代筆)
常陸にある駿河の海の須磨の浦に お出でください筥崎の松
文を見た近江の君が「松は待つってことね」と言って衣に何度も香を薫きしめ、紅を頬に赤くつけて、髪を梳いている様子は、それはまたそれで明るく陽気で可愛らしいのでした。
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「光る君へ」第34回で、曲水の宴(ごくすいのえん 水の流れのある庭園などで詩歌をつくり、水鳥の形を模した羽觴(うしょう)に乗った盃を巡らす宴)が六条院のモデルといわれる土御門院で催されたのは、光る君が途方もない広さの六条院で、池に臨む釣殿の贅沢な夕涼みをした様子が重なります。太宰府天満宮は、毎年三月第一日曜日に光る君のモデルの一人・菅原道真を偲んで曲水の宴を開催するとのこと。
https://www.dazaifutenmangu.or.jp/omatsuri/kyokusui-no-utage
「氷水を入れた水飯」が供されるのは、光る君が「氷室(ひむろ 洞窟や山陰に掘った穴を茅などで覆い、真冬にできた氷を夏まで保存する室)」の氷を夏に取り寄せられるということ。「氷室」の文献上の初見は「日本書紀」仁徳天皇期で、奈良の氷室から運ばれた氷に天皇が喜ばれたという記述があるとのこと。
「枕草子」にも「あてなるもの(上品なもの)」として「けづり氷に甘葛(あまづら 甘草を煎じた甘い汁)入れて、新しきかなまり(金椀 金属製の器)に入れたる(削った氷に甘葛をかけて、新しい金椀に入れたもの)」とあり、大貴族に仕える女房たちは、現代のガリガリ君の如く氷菓を楽しんでいたようです。
そんな贅沢な六条院に引き取られた玉鬘は、世間的には父親の光る君に言い寄られる不自然な状態にも、段々と順応してしまっています。適当な婿を取り玉鬘と六条院で忍び逢おうとする光る君は、いつまでも恋の現役でいたいのですね。
「常夏」の別名、撫子は「撫でるように可愛がっている子、愛児」という意味もあり、玉鬘を加えて四人の内大臣の娘たちの描写が続きます。頼りなくも可愛らしい雲居の雁。奥ゆかしい弘徽殿女御。そして末摘花、源典侍に並ぶ滑稽なキャラクターと言われる早口で愛嬌者の近江の君。
第二十帖「朝顔」で、朝顔の君との膠着状態の際に、ひょっこり顔を出した源典侍のように、疑似親子のままか男女の仲に進むか光る君が惑っている「常夏」の帖に、溌剌とした近江の君が登場するのは一興。「光る君へ」第6回で、打毬(だきゅう 馬上から打毬杖で毬を毬門に早く入れる競技)のメンバーが足りず、道長が「最近見つかった弟がいるんだ」と散楽の直秀を呼び寄せていたのは、近江の君や玉鬘のように、当時は「よそで生ませた」子供は、よくあることだったのでしょう。
同じ第6回で直秀は「おかしきものこそ、めでたけれ」と語り、第7回で散楽たちは、まひろが考えた「馬の落とし物を頭に載せてウンを上げる笑える話」を大道芸にしていました。
「源氏物語」は「あはれ(対象に入り込んで感じ取る深いしみじみとした感動・情趣)」、「枕草子」は「をかし(対象を知的・批評的に観察し、鋭い感覚で対象をとらえることによって起こる情趣)」という平安時代の美的感覚を代表する文学作品とされています。「をかし」には「滑稽」という意味もあり、「光る君へ」で、まひろが「笑える話」を考えているのは、「あはれ」一辺倒ではなく、近江の君など「をかし」も書けるという紫式部の気概を、脚本に取り入れたのかもしれません。
【バックナンバー】
第1回 第一帖<桐壺 きりつぼ>
第2回 第二帖<帚木 ははきぎ>
第3回 第三帖<空蝉 うつせみ>
第4回 第四帖<夕顔 ゆうがお>
第5回 第五帖<若紫 わかむらさき>
第6回 第六帖<末摘花 すえつむはな>
第7回 第七帖<紅葉賀 もみじのが>
第8回 第八帖<花宴 はなのえん>
第9回 第九帖<葵 あおい>
第10回 第十帖 < 賢木 さかき >
第11回 第十一帖<花散里 はなちるさと>
第12回 第十二帖<須磨 すま>
第13回 第十三帖<明石 あかし>
第14回 第十四帖<澪標 みおつくし>
第15回 第十五帖<蓬生・よもぎう>
第16回 第十六帖<関屋 せきや>
第17回 第十七帖<絵合 えあわせ>
第18回 第十八帖<松風 まつかぜ>
第19回 第十九帖<薄雲 うすぐも>
第20回 第二十帖<朝顔 あさがお>
第21回 第二十一帖<乙女 おとめ>
第22回 第二十二帖<玉鬘 たまかずら>
第23回 第二十三帖<初音 はつね>
第24回 第二十四帖<胡蝶 こちょう>
第25回 第二十五帖<蛍 ほたる>
『光る君へ』もあと4回、あの有名な道長の「望月」の歌も登場して大詰めを迎えていますが、その中で、道長が「娘を道具としか思っていない」と詰め寄られるシーンもありました。
源氏物語に登場する女性たちも、ままならぬ運命に翻弄される様が印象に残る場面が多々ありますが、そんな中に近江の君のようなキャラクターがいるとどこか気が休まる感じもしますし、そんな人物も織り交ぜて書けた紫式部の力量のすごさも、改めて感じられるように思います。