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大須賀淳
2024.10.16 13:48その他ニュース

アメリカの「空気」

ゴーさんのブログで紹介されていた「アメリカで核兵器に対して否定的な態度をとることは、軍に対して否定的な態度をとることに繋がり、ひいては愛国者ではないとの評価を受けてしまう」というのを読んで、日本とはベクトルが違うものの、米国もやはり「世間の空気に支配される」部分は日本と同じなのだなあとあらためて実感しました。

 

一方、米国内でもかつては、要人による原爆投下への批判的発言が多々行われていました。もちろん、政治的なポジショントークの意味合いが強いものもあるでしょうが、代表的なものをいくつか掲載します。


いかなる詭弁を用いようと、原爆投下の主目的が、戦闘員ではなく女子供老人などの非戦闘員の殺傷であったことを否定することはできない。そもそもアメリカは日本を挑発しなければ決して真珠湾を攻撃されることはなかっただろう。

第31代アメリカ合衆国大統領 ハーバート・フーバー


原爆投下は、米国兵士の命を救うためには全く必要のないものだった。我々は日本に原爆を投下する必要はなかった。

第34代アメリカ合衆国大統領 ドワイト・アイゼンハワー


日本がソ連に和平仲介を頼んだと知った1945年6月、私は参謀達に、戦争は終わりだ、と告げた。ところがワシントンのトルーマン政権は突如日本に原爆を投下した。私は投下のニュースを聞いたとき激怒した。

太平洋戦線連合国軍総司令官 ダグラス・マッカーサー


ロシアの参戦と原爆がなくとも、戦争は二週間で終わっていただろう。原子爆弾は戦争の終結とは何ら関係がなかった。

アメリカ陸軍航空軍少将 カーティス・E・ルメイ


アメリカはこの戦争を外交的手段で終了させられた。原爆投下は不要だった。日本の犠牲はあまりにも不必要に巨大すぎた。私は東京大空襲において、同僚達と、いかにして日本の民間人を効率的に殺傷できるか計画した。その結果一晩で女子供などの非戦闘員を10万人焼き殺したのである。もし戦争に負けていれば私は間違いなく戦争犯罪人となっていただろう。では、アメリカが勝ったから、それらの行為は正当化されるのか? 我々は戦争犯罪を行ったんだ。一体全体どうして、日本の67の主要都市を爆撃し、広島・長崎まで原爆で、アメリカが破滅させ虐殺する必要があったというのか。

ケネディ政権国防長官 ロバート・マクナマラ


 

これらの発言は、当時の戦況を理性的に見つめれば、当然そうした結論になるだろうというものばかりです。

 

さて、ここで注目したいのがカーティス・E・ルメイの発言です。ルメイは東京大空襲をはじめとする日本各地の空襲の指揮官で、戦時中の日本では「鬼畜」「皆殺しのルメイ」と憎まれた人物ですが、そのルメイにして1945年9月には上記のように語っています。

 

ところが、晩年の1988年には「原爆を使用せずに戦争を終わらせることができたとしても、私は原爆投下は賢明な決定だったと思います。何故なら原爆投下が降伏交渉を早めたのです。」と、一転して原爆正当化の発言をしています。

 

よくよく見ると「原爆を使用せずに戦争を終わらせることができた」という前言は微妙に保持しながら、「降伏交渉を早めたので原爆投下は賢明な決定だった」と強引に結論づけています。当初発言の「ロシアの参戦と原爆がなくとも、戦争は二週間で終わっていただろう」と合わせると、「降伏を一週間早めるために数十万人を殺した事は賢明だった」という、まさに鬼畜そのものの言葉になるのですが(後年、航空自衛隊育成に協力があったとして、日本政府はルメイに勲章を贈っています)。

 

現役当時は、個に立脚するバランス感覚に基づいた発言ができたルメイも、晩年には名誉欲のために、アメリカの世間に充満する空気へと迎合したのでしょう。

 

あらゆる意味での「原爆の悲惨さが〝伝わらない〟」最も大きな原因は、出来事の周知・認知だけの問題ではなく、「空気による支配」なのではという考えが、より一層強くなってきました。

大須賀淳

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