ライジングVol.512「桂春団治は歌よりメチャクチャだった」を読んで、「浪花恋しぐれ」の、「日本一の噺家を目指す夫と苦労に耐えながら支える妻」という組み合わせは、実際の初代・春団治の姿ではなく、歌が売り出された80年代の世の中に向けてあつらえた世界観だったというのは驚いた。
考えてみれば、落語に登場する夫婦というのは、たいてい、どうにもならんチャランポランの亭主と、それに呆れる勝気な女房だったりする。
落語は名もない庶民たちの話でもあって、それをどこまでも面白くハチャメチャにしていった噺家と、「日本一を目指す」という上昇志向は、いまいちそぐわない感じもする。
私の原稿「トンデモ訴訟大国アメリカ」のほうは、書く前に、図書館で見つけたアメリカやドイツの訴訟事例の本を読んだのだけど、途中で「なんでそんなことで訴えるの?」と思うような内容が多すぎて、最後まで読む気が失せてしまった。
アメリカは建国からの歴史が浅いことが、そういう裁判に影響するのだと書いてくれてる人がいて、たしかにそれは大きいと思った。
史上最高額で競り落とされた絵画、レオナルド・ダ・ヴィンチの「サルバトール・ムンディ」をめぐる『ダヴィンチは誰に微笑む』という映画があるのだけど、古典美術に対する知見や感覚が、フランス人とアメリカ人とでは決定的に違っていることがすごくよくわかる。
「ダ・ヴィンチが描いたかもしれない絵」をたまたま見つけて、数万円で買ったアメリカ人美術商が、「補修」と称して、ほぼ新品同様にまで筆を入れて描き上げてしまう。
その絵は、教養ある古典絵画のオークションでは相手にされなかったので、わざと、美術史を知らない現代アートのオークションにかけられる。
そして、多くの専門家から疑念の目で見られたまま、ニューヨークで過剰な演出とともに展示され、マスコミを巻き込んだ話題作りが行われ、競り値は510億円にまでぶち上がる……。
映画監督がフランス人なので、全体を通して、ルーブル美術館側の目線で、アメリカのアート市場を嗤ってる感じがあるのだけど、とにかくアメリカ人って、歴史に触れるという感覚は理解できないけど、人に幻想を見せる技術が凄まじく得意なんだなと思った。
時代、歴史、国民性。
いま私がすごく面白く思っているキーワードの組み合わせ。