台風&大雨に翻弄される日本列島。みなさんの所は大丈夫でしょうか?
今日は都内に用事があったので、居住している神奈川県央地域から小田急線に乗りましたが、伊勢原〜小田原間が盛土流出で不通になっている影響もあってか、普段だったら絶対に座れないような時間&場所でガラガラという状況に遭遇!
同時に、伊勢原市の国道246(こちらも、個人的に車で度々利用する経路)ではトンネル崩落まで発生し、神奈川県内の交通は大混乱です。実は、この近辺は8月上旬にけっこう大きめな地震の震源にもなったので、もしかするとそれによる地盤のダメージもあったのかもしれません。
幸運にも深刻な被害には遭っていなくとも、自分の生活圏に災害の足音が迫ると、「日本の国土」について色々な事を考えてしまいます。
今年は年初から能登半島地震という大災害に遭遇した日本。自然の豊かさ、恵み、優しさを享受すると同時に、裏腹であらゆる災害とも隣合わせで、その両面から「国柄」が形成されていると思います。これは単純なポジティブ、ネガティブの観念を超えた、日本に生きる民としての「宿命」と直結しています。
そうした環境であるからこそ、祭祀王である天皇を国の象徴として戴き、天皇陛下は国の公を体現される存在として(全ての自然そのものでもある)八百万の神に祈りを捧げられるという姿が、重要な意味を持ちます。
人は、完全なる絶望に遭遇したら、きっと祈る事さえも止めてしまうでしょう。
祈りとは、希望を追い求める事に他ならず、(単なる身体機能という意味を超えた)人間としての生命力そのものの具現化されたものと言えます。
国が希望と生命力を失っては、あらゆる政治もまともに機能せず、そもそもの意味を持ちません。天皇が「政治から切り離された存在」と考えるのは本来ナンセンスで、制度上の表記がどうあれ、本質的には「全ての政治の根本に在られる」のです。
政治家、特に全体を牽引するリーダー的なポジションの人には、狭い世間内でのおためごかしではなく、日本という国の希望の根幹たる存在としっかり対峙した天皇観、皇室観を持ってもらいたいと、切に、本当に切に願います。