ゴー宣DOJO

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大須賀淳
2024.8.16 18:50その他ニュース

「民主主義の希望」としての「五箇条の御誓文」

別に地震や台風を警戒して自粛しているわけではなく、お盆前後は(世間の活動がスローダウンするのを良いことに)あらゆる仕事を心静かに進める期間として、ずーっと家にこもっています。

 

心静かにと言いつつ、毎回ゴー宣DOJOの一月ほど前になると各回のテーマが頭の中でループするので、今は「民主主義に希望があるのか?」がずーっと脳内を巡っています。

 

もし、いま何か不慮の事態がおきて私が死ぬ事があったら、最期の言葉は反射的に「…民主主義に…希望が…ある…のか?(ガクッ)」になり、とても格好良い感じになるでしょう(もし実際は「ぎゃー痛い痛い!ひぃぃ〜!お助け〜!」とかみっともなく喚いてても、情けでそう言った事にしておいてください)

 

さて、数日前に題材にした安倍元首相の演説などまさにそうでしたが、民主主義は「西欧から授けていただいた有り難い賜物」という卑屈な価値観は、現在の日本を覆う様々なニヒリズムに通底していると痛感しています(繰り返しになるけど、総じて勇ましいアジテーションが大好きな安倍さんLOVEの方々は、あの米国議会での売国演説をどう思うんだろう?)。

 

日本は、外国に「授けてもらった」のではない、(同時に、のっぴきならない内外の状況とも対峙しながら)自ら導き出した下記のような信条を「天地神明」に誓っています。

 

・物事は広く議論して決める

・身分に縛られず意見を交わし合う

・権力者から庶民までが、心に抱く願いを叶えられるような社会を目指す

・古い習慣に縛られず、本質を重視した施策を行う

・世界中のあらゆる知恵に学び、未来を拓く心構えを持つ

(※すべて筆者の解釈による意訳)

 

それが、明治元年に発せられた「五箇条の御誓文」です。

 

この内容と素直に向き合った時、よほどの無政府主義者でも無い限り、右から左まで深い納得を抱くはずです。

 

そして、この御誓文は「前時代のもの」ではなく、敗戦を経た昭和21年に昭和天皇が発せられた「新日本建設に関する詔書」(俗に「人間宣言」と呼ばれる詔)の中でも、日本が則るべき基本精神として挙げられています。

 

フランス革命を羨む必要などまったくなく、日本には、有史上最大の国難の時にも「行き詰まった時に帰る場所」として示されたものがあり、それは今、我々が立っている時代と完全に地続きのものです。

 

五箇条の御誓文の特に優れている点と私が感じるのは、その内容が固着化したイデオロギー的なものではなく、(少なくとも日本の国柄、風土の上においては)時代や状況に応じた柔軟さを伴う普遍性を持っているという部分です。

 

これは「社会と個人の契約」という観点で見ても、実現可能な最大級の「自由」を担保したものと言えるでしょう。

 

「民主主義の希望」というテーマを追求する時、悲観が堂々巡りして糸が縺れそうな時に、それをゆるやかに解いてくれるのが御誓文の精神であると感じています。

 

それはきっと「自分を一番自由にしてくれる束縛」にも、ダイレクトにつながっていると、私は思っています。

大須賀淳

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