「光る君へ」と読む「源氏物語」第9回 第九帖<葵 あおい>byまいこ
愛子さまは3月26日の伊勢神宮御参拝の翌日、「伊勢物語」や「源氏物語」などの古典文学に描かれた斎王についての史料や展示のある「斎宮歴史博物館」をご訪問されました。―伊勢物語の中の著名な一幕「狩の使」の絵巻の前で、職員から「斎王のラブロマンス」などと説明を受けた際には、「(恋愛は)斎王はタブーですか?」などと質問。職員が「未婚の女性ですので、タブーです」と答えると、「(絵巻に)描かれているのは面白いですね」と話した。―と朝日新聞は報じています。
https://www.asahi.com/articles/ASS3W1R1JS3WUTIL002M.html
愛子さまは「式子内親王とその和歌の研究」というテーマで賀茂神社の斎院であり、情熱的な和歌を詠んだ方について卒論をお書きになっています。「伊勢物語」で在原業平と恋に落ちたとされる伊勢神宮の斎王・恬子 (やすこ) 内親王の展示での職員の方とのやり取りは、大胆かつ当意即妙。魅力あふれるお人柄に惚れ惚れいたしました。
今回は、賀茂神社と伊勢神宮にまつわる「源氏物語」でも屈指の大事件「車争い」をみてみましょう。
第九帖 <葵 あおい(賀茂神社の神文・二葉葵 葵の歴史的仮名遣い「あふひ」は「逢う日」に通じる)>
桐壺帝は譲位して桐壺院(きりつぼいん)となり、弘徽殿の女御の産んだ東宮(とうぐう・皇太子)は帝(朱雀帝 すざくてい)に、藤壺の中宮の産んだ皇子が東宮となりました。弘徽殿の女御は大后(皇后)になりましたが、譲位の後、さらに仲睦まじくなった桐壺院と藤壺との関係がおもしろくありません。
御代替りに伴い、伊勢神宮の斎宮と賀茂神社の斎院も替わります。新しい斎宮には六条御息所の娘が決まりました。御息所は光る君のつれなさに耐えかねて娘と一緒に伊勢に下ろうとします。亡き東宮の妃であった御息所を尊重していないことを桐壺院から叱責されてしまう光る君ですが、葵上が懐妊したため、さらに足が遠のいてしまいました。(伊勢神宮の斎王は斎宮、賀茂神社の斎王は斎院と呼ばれることもある)
新しい賀茂の斎院は、弘徽殿の産んだ女三宮(おんなさんのみや 第三皇女)に決まり、賀茂の祭りが華やかに行なわれることになりました。御禊の儀(ごけいのぎ 鴨川で斎王が行う潔斎)の際には、容貌の優れた者が選ばれて供奉する行列に、特別な宣旨(せんじ 天皇の御意向を下達すること)によって光る君も奉仕することになったので、懐妊中の葵上も周りのすすめで見物に行くことにします。
ところが見物の車が立て込み、すでに車を置く場所はありません。葵上の従者が、ある車を退かせようとしたところ、どうやら乗っているのは六条御息所。葵上と御息所の従者同士で押し問答が始まり、お酒の勢いもあって大騒動、「車争い」になってしまいます。葵上の車に立ち退かされ、榻(しじ 踏み台)を壊され、見物を取りやめて帰ろうにも動けない車の中で、御息所は屈辱を味わいます。
「車争い」の様子を聞いた光る君は御息所のもとを訪ねますが、逢うことは叶いません。光る君は二人の女性が互いに穏やかでいられないものかと思いながら、賀茂の祭りの当日は若紫と見物に出かけます。やはり車は立て込んでいたのですが、あの色好みの源典侍が場所を譲ってくれました。声をかけると相変わらず秋波を送ってくる源典侍に光る君は呆れてしまいます。
六条御息所は、「車争い」の屈辱から魂がさまよい出るような気持ちを抑えられなくなっていました。少しでもまどろむと、夢のなかで葵上とおぼしき女性を、あちこち引き回し、荒々しく打つなど、自分が自分ではないようになってしまい、思い悩んでいます。
その頃、左大臣邸では、葵上に物の怪がとり憑いて悩ませていました。加持祈祷をさせると、たくさんの物の怪が出てきて、次々に名のるなかで、ある物の怪が、どうしても憑座(よりまし 神霊を乗り移らせる子供や人形)に移りません。さらに、まだ出産の時期ではないだろうと人々が油断していたところ、葵上は急に産気づいてしまいます。光る君は葵上の手を取って懸命に励ましますが、「祈祷をゆるめて欲しい」と頼む声や様子が、まさしく御息所なのでした。
嘆きわび 空に乱るるわが魂を 結びとどめよ したがいのつま 六条御息所
嘆きのあまり 空にさまよう私の魂を 結びとどめて 下前の褄で(着物の合わせで下になる部分の端)
光る君が眼前に見てしまった御息所の生霊を不気味に思っているうちに、葵上は東宮にそっくりな美しい男の子・夕霧(ゆうぎり)を産みました。桐壺院などから産養い(うぶやしない 出産祝い)が贈られ、左大臣邸では祝宴が開かれます。
御息所は祝宴の様子を耳にして心穏やかではいられず、自分が自分でないようになっていたことを思い返していると、衣に加持祈祷の護摩で焚く芥子の匂いが染み付いていると気づきました。髪を洗っても、着替えても芥子の匂いが消えない我が身が疎ましく、人にもどう思われるだろうと心乱れます。
夕霧が生れてから、ようやく葵上と心打ち解けられるようになった光る君は薬湯を飲ませたりして世話をします。ところが光る君が宮中に出仕しているときに、葵上は容態が急変し、亡くなってしまいました。弔問の文を送った御息所は、光る君から生霊のことをほのめかす返事を受け取り、打ちのめされます。
光る君は、四十九日の忌明けまで左大臣邸に籠りながら葵上の死を嘆いています。頭中将は意外でしたが「本当は正妻として妹を大切に考えていたのだ」と分かり、葵上の死を残念に思います。馴れない独り寝を続ける光る君は、葵上の母・大宮や式部卿宮(しきぶきょうのみや)の娘・朝顔の君と趣き深い文を交わすのでした。
忌明けとなり、光る君が久しぶりに二条の邸に帰ると、若紫はとても大人びて美しくなっていました。藤壺にそっくりな若紫は14歳、結婚に似つかわしい頃になったと光る君は思います。
どのようなことがあったのか、若紫がいっこうに起きてこない朝がありました。光る君が三日夜の餅(みかよのもちい 結婚の三日目の夜に夫婦が食べる餅)を惟光に用意させたのをみて、女房たちは何が起きたのかが分かり、乳母の少納言は有難く思います。兵部卿宮にも娘の若紫のことを知らせて、立派な裳着(もぎ 女性の成人式)の用意をする光る君ですが、若紫には嫌われてしまい、目も合わせてもらえません。光る君は、そんな若紫も愛おしく感じています。(以後は若紫を紫の上(むらさきのうえ)と呼びます。)
朧月夜は、御匣殿(みくしげどの 御匣殿別当の略 御匣殿の女官の長官 御匣殿は天皇の衣服などを裁縫する場所)と呼ばれるようになりました。朧月夜がいまだに光る君に心を寄せているので、父の右大臣は「葵上が亡くなったので光る君が正妻にしてくれるなら不本意ということはないだろう」と言いますが、弘徽殿の大后は「宮仕えをきちんとすれば、何の不都合がありますか」と自分の息子・朱雀帝への入内を諦めていません。光る君は朧月夜を忘れられませんが、いまは若紫に夢中であるうえに、御息所のことを踏まえて、女性の恨みを負うことはしないでおこうと思うのでした。
御代替わりの祭りで車争い、生霊によって夢と現、生と死が交錯し、光る君の正妻の座が空白に…と多彩な「葵」の帖。
「光る君へ」で、花山院へ矢が射かけられた長徳の変は、従者同士が争い死者が出て、大ごとになりました。六条御息所は元東宮妃で娘も産んでいる重要人物。葵上との車争いで死者が出ていたら、光る君も左大臣も、ただでは済まなかったかもしれません。
六条御息所が生霊となったのも、無理もないような「車争い」。賀茂の祭りという公衆の面前で、乗っていた車を壊されるほどの狼藉を働かれた上に、正妻の葵上の懐妊も「魂がさまよいでる」要因でしょうか。「源氏物語」は古今の芸術家たちに多大なインスピレーションを与えているようで、「葵上」というタイトルの能楽作品や三島由紀夫の脚本があり、シテ・主役は六条御息所の生霊となっています。三島氏と親交のある美輪明宏さんが演出・主演をされた「葵上」を鑑賞した際は、ご愛用の香水・タブーの薫りを纏った六条御息所(六条康子)に、くらくらと魂を持っていかれそうになるほど。幽玄で絶品でした。
正妻の葵上が亡くなり、光る君は独り身となりました。平安時代は一夫多妻制にみえて、妻は基本的には一人、他の女性は妾(しょう)とのこと。「光る君へ」で、道長(柄本佑さん)が倫子(黒木華さん)を妻にして、左大臣邸で世話を受け、産まれた子供も育ててもらっているのは、光る君が葵上を妻にして、左大臣があれこれと世話をしているのと相似しており、葵上の遺した夕霧も左大臣邸で育つのです。ただし葵上が亡くなったのは26歳とされていますが、実在の源倫子の享年は90歳で、娘の彰子も87歳と長寿。倫子の産んだ6人の子供全員が夭折せず、男子2人は関白に、女子4人は天皇の妃になれたのも、道長が勢力を保てた要因でした。
「光る君へ」第11回で、道長から「そばにいてくれ」と言われ「それは私を北の方(正妻)にしてくれるってこと?妾になれってこと?」と訊いたまひろ。この時点で官職についていなかった父・為時が婿の世話を出来るはずはなく、道長が「北の方は無理だ」と応えたのは、哀しくも道理だったようです。
葵上の死後、若紫が光る君と結ばれました。若紫の同意を得ないまま関係を持った光る君の行動は、またも物議を醸しそうですが、第五帖「若紫」で祖母の尼君は、18歳の光る君が10歳の若紫の後見を申し出た時に、恋のことわりの分かる年齢ではない孫娘には相応しくないと「あと4、5年過ごしてからなら」と伝えています。14歳になっている若紫は、尼君が伝えた年齢に達しており、裳着を控えていることからも、当時としては大人の女性。乳母の少納言も、三日夜の餅を用意して結婚の体裁を整えてくれた光る君に感謝していますね。
「光る君へ」で、一条天皇(塩野 瑛久さん)は、自ら髪を下ろした定子(高畑充希さん)を「熱病のように」愛し続けています。定子亡き後も、一条天皇は御匣殿と呼ばれる定子の妹を姉の身代わりのように寵愛していました。年上の妻の死後、光る君が若い女性と結ばれる設定は、12歳で入内した娘の彰子が一日も早く一条天皇と結ばれ懐妊することを願う道長の思惑を、紫式部が物語の中に描き込んだようにみえます。
第八帖「花宴」に登場した朧月夜は東宮の妃になるはずでしたが、右大臣も弘徽殿も光る君との関係を知って、御匣殿と呼ばれる女官にしたようです。定子の妹・御匣殿が一条天皇に寵愛されたり、近代でも権典侍・柳原愛子(「花子とアン」で仲間由紀恵さんが演じた柳原白蓮は姪)の産んだ皇子が大正天皇になったりと、女官が天皇に愛される例があるので、弘徽殿が朧月夜の入内を諦めていないのも的外れではないのでしょう。
右大臣が娘の朧月夜について「葵上が亡くなったので光る君が正妻にしてくれるなら不本意ということはないだろう」との思惑を抱いたのは、若紫と結ばれていても、世間的には光る君は独り身のままと見なされていたということ。「光る君へ」の時代考証をされている歴史学者の倉本一宏氏によれば「紫の上は妻でも妾でもない、同居人」。
光る君にもっとも愛されたとされる若紫あらため紫の上がどうなってゆくのか、「光る君へ」で、道長にもっとも愛されているまひろ・紫式部とも照らし合わせながら、今後も注目していただけたらと思います。
【バックナンバー】
第1回 第一帖<桐壺 きりつぼ>
第2回 第二帖<帚木 ははきぎ>
第3回 第三帖<空蝉 うつせみ>
第4回 第四帖<夕顔 ゆうがお>
第5回 第五帖<若紫 わかむらさき>
第6回 第六帖<末摘花 すえつむはな>
第7回 第七帖<紅葉賀 もみじのが>
第8回 第八帖<花宴 はなのえん>
六条御息所の生霊が物の怪として葵上にとり憑いていたというあたりは、まさにホラーという感じです。西洋由来のホラーとは全く違う、日本のホラーの系譜が間違いなくあるはずですが、そこにはこの『源氏物語』も入ってくるのだろうかという興味も湧きました。
あと、『光る君へ』で完全に「私」に埋没しているようにしか見えない一条天皇は見ててイラついてくるんですが、これと源氏物語がどうリンクしていくのかも気になります!
益々興味津々、次回もどうぞお楽しみに!