皆様、こんにちは!公論サポーターのアラフォー女子介護士のランランと申します。
今回は、大陸一の英雄(奸雄)から公の活動の為に不可欠な”個”とは何か、生き方のヒントをご紹介したく思います。
この方は、治世の能臣、乱世の奸雄と呼ばれ、三国志演義での大悪党で有名で、名は曹操、字は孟徳と言い、三国志時代にて覇者となり、様々な才を発揮され、泥沼、底無し沼と言えるドロドロの波乱な状況の中、己を貫いた強い個を持っていました。
個とは、個人を一般的に言いますが、人の”芯” “信念”を指すと思われます。
例えば彼は董卓という悪逆無道な国を牛耳った奴を打倒しようと、反董卓連合軍を結成し、頭を名家である袁紹に譲り、自分は参謀として立ち振る舞いをしました。当初は各地の諸侯が力を合わせて戦っていましたが、しだいに彼らは己の個々の思惑でぶつかり、大義名分があった立場にも関わらず、連合は瓦解しました。原因はなあなあ体質で、賞与されるべきところを軽んじ、自分の派閥に利便を優先し、罰するべきところ、批判すべきところを忖度してそのままにしてたと言う事に尽きます。
また、董卓が都に火を放ち都を遷都した際、大義名分を果たすには追撃し攻撃しなければいけませんでした。しかし、連合の諸侯は自軍の損失を嫌がり、誰も動きませんでした。再三曹操が進言するも、やはり誰も動かず、曹操は”じゃあ、もう頼まねぇ!俺一人でも追撃する!”となり、出陣しました。ここは大義、筋を通すのが道理ですが、諸侯達は馴れ合いを是非とし、一人筋を通そうとする曹操を疎んじる雰囲気があったかと推察します。
人は流されやすい質があり、居心地の良い空間に身を長く置くと、自分が最初に持った信念、大義、大局がどうしても緩んでしまい、個を貫き、大義を成す存在が障りになるのかもしれません。この時、誰一人も一緒に行くと言わず、結果は董卓の待ち伏せにあい負けましたが、彼は一貫して反董卓の姿勢にブレなく動き、なあなあで大義が死んだ諸侯達と決別しました。
そこから、大義名分明らかにすると一旦決めれば、
それを軸にしてぶれないよう立ち振舞いに気を付け、
いっときの感情で流されず、冷静に大局を観る心が
“個”のコツとも言えるのではないでしょうか。
総じて大義の為に動く際はいかに流されず個を強く持ち、なあなあになって動けなくならないかと考える必要があり、一つの話として聴いて頂ければ幸いです。
三国志演義ではもっぱら「極悪人」というイメージの曹操ですが、何の大義も持たずナアナアの人間などは、「悪人」として名を残すこともできない、ということなのでしょうか。
そう考えると、公のためには「どんなに悪人と呼ばれてもいい」と常に言いながら言論戦に挑んでいるよしりん先生の姿が重なるような気もします。