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2024.6.9 07:00ゴー宣道場

八路軍の田舎家庭から小話①時々停電時々お湯が出ない暮らしで観えたもの。

皆様、こんにちは!公論サポーターのアラフォー女子介護士のランランと申します。
今回は私の幼少期に過ごした大陸の環境とそこから観えた事を、ちょっとぼやかしつつご紹介したく思います。

私が幼少期に過ごした時代ですが、まだ大陸が発展途上国でインフラ整備もゴタゴタな環境でした。
例えばもう日本ではインフラ整備も出来て先進国に進んでバブル期過ぎた時代に、大陸の田舎では電力不足で1週間か2週間に停電が2回ほどあったり、太陽光でお湯を沸かすスタイルが多々あり、雨が降り続くと中々お風呂に入れなかったりします。浴槽があるところが珍しく、我が家は大きな鉄タライで入浴していました。
大きな鉄タライ風呂、当時はいつもの浴槽と違って大好きでした。お湯はポットと蛇口から直接入れていました。夕方になるとお湯が出ません。浴槽がメジャーになったのは私が小学校、中学校卒業あたりからでしょうか。

裕福な幹部の家庭ではガスや最新の電気製品を揃えられるも、一般の家庭や人に何でもかんでも譲ってあげてしまうお人好しの幹部の家庭(我が家)では中々の環境で、家に派手な装飾無く、壁に経年劣化のヒビが装飾であり、無駄なものは置かず、裸電球とTV、食卓があれば充分と寝具が家族分あれば満足という感じでした。ただ八路軍の福利厚生で八路軍の家庭だと病院が当時ただで診てくれたり、(内戦や文化革命の世代限定?)動物園や公園などは無料で入れて、八路軍の社宅(?)区内の食堂の食事が食べれる環境でした。

また、当時は安く食べものが手に入りやすい為、路上で野菜一束40円くらいで買えていました。肉もせいぜい4、5人分の量が500円ほどで手に入れられました。今思えば中国の最盛期に行く前が、皆食べれてのんびり暮らせていた幸せな環境だったのではないかと感じました。

今は親戚や親が八路軍のコネがあろうと個人個人の責任で、物価高で生活出来なかったら乞食になろうが死のうが政府は見て見ぬ振りしている。
その現状を観て、ああ昔は社会主義で、平等主義の理念で皆幸せになったと思っていたが、現状は弱者を無情で切り捨てる血も涙もない国家なんだなと思いました。
大人になり、発展した中国の地で暮らした際には、幼少期に遭遇しなかった道路上に普通にホームレスの死体が車にはねられて放置されたり、警察がなかなか来てなかったりした風景がまま有りました。

その体験から踏まえて、国の体制や、国民の生活保障とその先に国民の安寧を考える大事さに気付いた事でした。

 

 


 

 

これじゃあ中国じゃ『三丁目の夕日』や『ちびまる子ちゃん』みたいにノスタルジーを楽しむ漫画なんかは現れようもないだろうなあ…と一瞬思いかけたのですが、鉄タライ風呂が大好きだったというような語り方を見ると、その時代の中国に育った人にとっては、停電やお湯が使えない暮らしもノスタルジーになって、それが中国の『三丁目の夕日』にもなるのかなあ、と思いました。

あと、昔は社会主義・平等主義で皆幸せになったと思っていたというけど、その前に文化大革命があったんですよね…?
しかし、道路上に普通にホームレスの死体が転がっている今より良かったのだろうことは間違いありませんが。

そんな大激変が起こる国もあるのだということが、素朴な生活実感で書かれている文章もなかなか貴重なのですが、そこで「国民の安寧を考える大事さに気付いた事でした」と締めくくられているのを見て、私は不意に、日本には「国民の安寧」を常に祈ってくださる天皇陛下がおられるのだ、と思い、ものすごく有難い思いがしました。

中国には天皇がいないから、こんな無茶苦茶なことが起こる。
日本だって、天皇がいなくなったら同じような、またはもっとひどいことにもなりかねない。
その天皇の存在が、いま存亡の危機にさらされている!
そういうことも、もっと考えてもいいんじゃないでしょうか?

 

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