故·安倍晋三元首相は生前、皇位の男系継承を
今後も維持しなければならない理由について、
以下のように語っていたという(谷口智彦氏『日本の息吹』
令和5年9月号)。「男系染色体がね、父から息子に綿々とつづく男系染色体がね、
それ自体がね、とうとい(尊い)んじゃないんだね。
父、息子っていう流れをね、なんとしても絶やさないようにって、
昔から営々と、たくさんの人が努力してきたんだからね。
それだよね、エライ(偉い)のは」この発言の前段を見ると、男系限定(優先?)論者の1人で、
自ら安倍政権のブレーンを名乗っていた八木秀次氏が
しきりに唱えていた「神武天皇のY染色体」論に対して、
安倍氏もさすがにそのまま同調できなかったことが分かる。一方、後段は同じく男系論者の百地章氏の主張を踏また発言だろう。
例えば武烈天皇の後、皇統断絶の危機があったものの、
当時の人々の“男系維持”の為の「努力」によって、
遥かな傍系だった継体天皇の即位を実現し、首尾よく断絶を
免れることが出来たという、当時の史実そのものとは
かけ離れた一種の“講談”的な歴史理解だ。しかし継体天皇のお子様のうち、『日本書紀』に「嫡子」
と明記され、現代まで血統を伝えているのは、それまでの
皇統の直系に繋がる手白香皇女から生まれた
(即ち女系で嫡子とされた)欽明天皇“だけ”だ。但し安倍氏が見落としていたのは、こうした史実のデティール以上に、
男系維持の最大の支えは側室制度だったというシンプルな事実だ。更に、シナ男系主義に由来する(父から息子にという流れだけ❲!❳
で受け継がれると考えられた)「姓」の観念が長年、
男系限定を強く動機付けて来たという事実だ。しかし、そのような「姓」の制度は既に廃止されたし、
観念としても社会を呪縛する力をとっくに失っている。皇統は父から息子にだけでなく、親から子へと受け継がれ得る。
にも拘らず、側室不在かつ少子化という条件下で「男系男子」限定に
固執すれば、それこそ皇統断絶の危機に直結する。もし皇統を「なんとしても絶やさないようにって」
本気で願うのであれば、目の前に迫る危機を乗り越える努力を
惜しんではならないし、その為に先ず必要なのは
男系男子限定という無理なルールを速やかに見直すことのはずだ。安倍氏は残念ながら、後世から「エライ」と言われるのとは丁度、
正反対の方向に進もうとしていたように見える。【高森明勅公式サイト】
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