皇位継承資格を男系男子に限定すべきだと主張する
人らにとって最大の難問は、情けないことに
「なぜそもそも、皇位の男系継承を守らねばならないのか」
という一番“手前”の問いらしい。
これについては、私のブログ「男系男子限定の理由は『どうでもよい』
『説明出来ない』?」(令和5年8月17日公開)を参照。最近も、先のような問いを自ら設けて迷走するしかなかった、
気の毒な実例を見かけた(『SPA!』2月27日号)。そこでは男系限定の「理由」と称するものが3つ挙げられていた。
その1は「男は子供を産めないから」。
これがどうして先の設問への答えになるのか、例によって
謎の頭脳構造と言うしかない。
これはむしろ、女系こそ本来的な継承原理であることを示す事実だ。
「男は子供を産めない」以上、親子の関係を“直ちに”確証できるのは
(DNA検査などを介在させない限り)、母親と子供の間だけだ。
母親と子供との関係が直接的·具体的なのに対して、
父親は間接的·抽象的レベルにとどまる。
『古事記』に出てくる「御祖(みおや)」という語が“全て”
「母親」を意味している(西郷信綱氏『古事記注釈』第1巻)のは、
この事実と契合する。更に、日本神話に登場する天照大神の孫に当たるニニギの
ミコトが妻の妊娠に際し、果たして自分の子供なのかと
疑う場面が『古事記』と『日本書紀』に共通して描かれている。
これも、上記の事実を基礎とする伝承と考えられる。
従って、子供は本来、直接的·具体的な繋がりを持ち、
目の前の事実によって確証できる母親の血筋=女系に
位置付けられるべきだった、と考えるのが自然だろう。なのに何故、「男系」という些か観念的な捉え方が現れたのか。
むしろそちらが問われなければならない。
これへの回答としては、一般的に「軍事的緊張関係」を
要因とする説明がなされている(ジョージ·ピーター·マードック
『社会構造ー核家族の社会人類学』)。
しかし日本の場合は、男系化に傾斜する時期に特に軍事的緊張関係が
エスカレートしたとは、言えない。
よって、東アジア全体に巨大な影響を及ぼした男系社会=古代シナ文明
からのインパクトを重視する見方が有力だ
(田中良之氏·義江明子氏ほか)。いずれにしても理由その1は、男系継承の“非本来性”を暴き、
自ら墓穴を掘ったと言う他ない。その2は「一般人の男性を皇室に入れない為」。
これは普通の理解力があれば、既に親の代から「一般人」である
旧宮家系子孫の「男性」を養子縁組などで「皇室に入れない為」
の発言と受け取るのではないか。
ところが、本人はそのつもりではないらしい。
やはり頭脳構造が謎。
しかも、前近代においては「一般人」の男性だけでなく、
“女性も”皇族になれなかったという初歩的な事実も知らないようだ。
文中、女性が民間人から皇族になった実例として唯一、
仁徳天皇の皇后とされる磐之媛命という伝説上の人物の
名前を挙げている。しかし、磐之媛命が“皇族になった”証拠が一体どこにあるのか。
以前、聖武天皇の皇后だった光明皇后を臣下から皇族になったと
見る誤りを、ブログ「意外と知られていない光明皇后は
皇族ではなかった」(令和5年2月7日公開)で取り上げた。婚姻によって、皇族以外の者が新たに皇族の身分を
取得するようになったのは、明治以降。その背景に、
明治民法との対応性から、「夫婦の一体化」という
ヨーロッパの考え方の影響を想定できる。にも拘らず、前近代でも「民間人出身の女性で皇族となられた方は
無数にいる」と言い張るなら、具体例を示さなければ説得力がない。ちなみに、皇室の祖先の御霊を祀る宮中三殿の「皇霊殿」の
ご祭神は天皇、皇后、皇妃、皇親とされ、皇后·皇妃が皇親(皇族)
でない場合にも配慮したカテゴリー設定になっている。とにかく、前近代は婚姻による身分変更が無い時代だった
事実を見落としては、端から話にならない。皇室典範のルールに基づいて、民間人の女性が婚姻によって
皇族になられても(例えば現在の皇后陛下、上皇后陛下をはじめ
各宮家の妃殿下方など)誰も違和感を覚えていない。
このような現状に照らして、同じことが男性の場合にも
当てはまると考えるのが、常識的な受け止め方だろう。
残念ながら「男性排除の原理」など、無知に基づく白昼夢に過ぎない。その3は定番の思考停止。
「伝統は続いてきたこと自体に意味があるから」。
いやいや、もし「伝統」というなら“男系+非嫡系”であって、
非嫡系抜きの男系限定は繰り返し言うが昭和の皇室典範以来の、
明らかに無理筋で持続困難な“新例”に過ぎない
(男系限定自体も法規範としては明治典範から)。しかも「皇室の伝統」については、既に皇室ご自身のお考えとして、
狭い男系継承などではなく、ひたすら「国民と苦楽を共にする」
という精神そのものであることを、お示し下さっている
(平成17年12月19日、天皇誕生日を控えての記者会見での
上皇陛下のおことば。私のブログ「皇室の伝統は男系継承ではなく
『国民と苦楽を共にする』こと」令和5年11月3日公開を参照)。
皇室の伝統への理解は、皇室ご自身のお考えを最も尊重すべきであって、
国民が勝手に極め付けてはならないのは勿論だ。以上のように見てくると、「理由」と称する1〜3はどれも理由になっていない。
「なぜ男系限定なのか」という最も前提となる問いかけに対して、
「そもそも理由などどうでもよい」(竹田恒泰氏)とか、
「どだい説明が出来ないもの」(谷口智彦氏)という袋小路から、
遂に抜け出ることができなかった。
男系限定の理由は結局ナシ(!)ということが改めて浮き彫りになった。追記
先日のブログ及びプレジデントオンライン
「高森明勅の皇室ウォッチ」で天皇誕生日の一般参賀で雨の中、
誰に言われた訳でもないのに自発的に次々と傘が閉じられた
事実を紹介した。これに対してネット上で、宮内庁職員の放送で
傘を閉じるように指示があった、という書き込みを見かけた。私や娘はそんな放送を聞いていないし、
宮内庁が一般の参賀者に雨が降り続いているさなかに
傘を閉じろなどど指示できるはずがない。
しかもそんな放送に従ったのなら、一斉に傘を閉じるはずだが、
そうではなく波紋のように傘を閉じる動きが広がったのが
現場での実情だ。しかし、もし不正確なら訂正が必要だと考えて宮内庁に尋ね、
やはりそのような放送は無かったことが確認できたので、
ここに記しておく。
宮内庁の担当者が丁寧に事実確認をして下さったことに感謝。
【関連ブログ】
『男系男子限定の理由は「どうでもよい」「説明が出来ない」?』
https://www.a-takamori.com/post/230818『「意外と知られていない光明皇后は皇族ではなかった」』
https://www.a-takamori.com/post/230208『皇室の伝統は男系継承ではなく『国民と苦楽を共にする』こと』
https://www.a-takamori.com/post/231102【高森明勅公式サイト】
https://www.a-takamori.com/
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