昔、猫は死期を察したら、家からいなくなると思われていた。
飼い主の元を去って、死に支度をするので、賢い動物だと
思っていたが、「死」の概念を知らない猫が、死期を察する
なんてことはあり得ない。
室内と外を自由に往来できなくなった現代の猫は、まるで
牢獄に捕らわれた存在と成り果て、完全に飼い主の玩具と
化した。
そのせいで体調が悪くなると、室内の寒くて暗い場所に
隠れてしまい、体内のエネルギーを温存しつつ、敵からの
襲撃を逃れる警戒態勢をとる。
家で飼われて本能を封印された猫でも、体調が悪化した
場合は、本能としての防御姿勢をとるのだ。
家に何匹もの猫を飼っていたら、どの猫から襲撃されるか
分からない。
動物の基本は弱肉強食である。
実は人間も同じだが。
それをわざわざ動物病院に連れて行って、CT検査を行ない、
手術代に100万円も負担して、延命させる富裕層がいる
らしい。たぶんぼったくられたのだろう。
そこまでやっても果たして体調が元の通りに回復するか
どうか?
家に何匹も猫を飼っていたら、本能として襲撃する猫から、
隠れるしかないだろう。
猫に人権ならぬ基本的猫権があると思い込んで、猫は家族
だと思い込むのは、寂しい人だから仕方がない。
非難するつもりはない。
だが猫なんて、どうせ人間より早く死ぬのである。
「命は宝」だとする「生命至上主義」が動物にまで延長
されるのが近代のイデオロギーである。
「思想・哲学」の時代はもう来ないのだろうか?
自然に反した行為が報われることはない。
最近の人間は自然に反した行為ばかりしている。
卵子を凍結して、都合のいい時期に受精させたり、他人の
腹を借りて出産させたり、挙句の果ては自分の母親の腹を
借りて出産させたり、科学の力を使ってやりたい放題だ。
人間だって動物である。弱体化して、死に至る。
猫と違うのは、人間は死に支度ができるということだ。
毎日毎日、死に支度をして、その時が来たら、飼い主である
読者の前から姿を消し、あっさり死ぬ。
これがわしの理想である。
それまではわしは暴れる。
どんなに人から嫌われようとも!