なんだか、いかにも上手い事言った風なあざといタイトルですが(笑)これは様々な体験に基づく実感のこもった当て字です。
過剰な忖度は多くの場合、意味が無いどころか、むしろマイナスに機能する「損な選択→損択」になっています。
それは多くの忖度が、表向きの対象(上司や取り引き先といった強者と、立場や健康などに起因する弱者の両方の場合あり)のためではなく、実際は、忖度するよう周りに命じるような者自身の立場を上げる目的で濫用されているためでしょう。
「ゴマすり野郎が、気を利かせて余計な事をしたばかりに、かえって偉い人を怒らせてしまった」みたいなしょうもない話は、そこかしこに転がっていて、思い当たるエピソードがある人も多いと思います。
そうした類のものは、愚かしいながらも小規模な影響で済みますが、社会全体レベルで発動される「損択」は、しばしば洒落にならない害悪を生み出します。
害の大きい「損択」のわかりやすい例が、コロナ騒ぎにおける一連の同調圧力・理不尽な施策や、キャンセルカルチャーに分類される開き直ったスキャンダリズムです。
「かわいそうな人」がいる!疑ってはならない!全面的に忖度して丁重に扱いつつ、彼らが「酷いことをした」と訴える強者を社会から抹殺するんだ!!
これらは「弱者のため」を錦の御旗にしながら、じゃあそれで救われた弱者がいるのか?とつぶさに観察するほど、驚くほど誰も救われていません(逆に、明確な不利益を被った人はいる)。
キャンセルカルチャーの乱流において、唯一週刊誌の類だけが部数増で「得した」ように見えるかもしれませんが、俯瞰してみると、将来にまで渡るメディアとしての寿命を大幅に縮めてしまったはずです。
まず、メディアとしての「バランス」や「信頼」は自らかなぐり捨ててしまったので、今後はずっと「修羅の道」を行くしかありません。
そのうち、大衆は並みのスキャンダリズムに満足できなくなり、より強い刺激を求めだすでしょうが、そうすると誤報などのリスクもあがり、一発で消し飛ぶレベルのミスを犯してしまう可能性も大幅に増加します。
そんな媒体に、優秀な人材は集まらなくなり、たとえ完全に消えなくても、メディアとしての価値は大幅に下落するでしょう。
どう考えても「損な選択」にしか思えない。
文春など「主犯級」のメディアは言うにおよばず、あやふやな「世間への忖度」でライトに「損択」しているあらゆる団体・個人は、おしなべて不利益しか被らないはずです。
思想や決断、想像力と実のある努力が必要な「思い遣り」には目もくれず、ハリボテの道徳パッケージを身にまとったポリコレ損択に奔走するメディア。
「風刺」は雑誌などのメディアにおける代表的な手法の一つですが、その担い手であるはずの立場にいる多くのメディアは、自らの道化師っぷりには気づかない(もしくは目を瞑っている)ようです。