先日ふと気付いたけど、自分が18歳で上京して働き始めたのが1994年の3月なので、まもなく「大人歴30年」となります(大人の正しい定義なんてないけど、100%自分で働いたお金で生活して税金納め始めた時点なら、おそらく文句は上がらないよね)。
さすがに30年やってる事に関して、ある程度自分の主観だけで語っても、これもまた文句は出ないでしょう。
はっきり言って、大人は楽しい!
幼児期から小中高と学生期ふくめ、どこにも戻りたいと思わない。
子供の頃は「こんな事やりたい!」と思っても、知恵も力も財力もなかったので、欲した事の1/10もできなかった。
その代わり、なんとかやってみようと時間をかけて取り組んだ事は糧にはなっていると思うけど、それよりも、大人になった現在「金で解決ぶぁいやいやい」した方が(茶魔に比べたら、マスクの網目を通ってしまうコロナウイルスのような微小の金額ですが…)ズルい位に面白い地点からスタートできる。
不安なんて、そりゃいつでもあるさ。だけど、「将来に対する唯ぼんやりした不安」で自殺した芥川龍之介の没年よりも一回り以上歳上になった今、不安はどんどん具体的な形を帯びるばかりなので、対処はより一層容易になった(綾小路きみまろ的なネタにするなら、「それは貴方の頭脳が唯ぼんやりとしてきたせいです」とかになりそうだけど(笑))。
「そんなのは、お前が幸運で夢が叶ったから言ってるんだろう!」という声も出て来そうで、実はそうした声を受けると、非常に悩んでしまうんです。
「夢…俺の夢ってなんだろう…」
↑おお、人生の暗部に深く直結するような苦悩…?
いや、実は違っていて、より強く「やりたい!」と思う事ほど、ほんの少しではあっても何かしら手をつけ始めちゃうんで、それは夢じゃなく具体的な「進捗具合」になっちゃうんですね。
逆に「何もやってない」事は、実はそれほど興味がなかったのだろうなと、自分の熱量の程度に納得の行く事ばかりです。
やりたいと思い立った事をこまめに試すクセがついていると、失敗しても「大きな挫折」にならない良さがあります。
慎重に慎重に慎重になればなるほど、ちょっとした不測の事態も「大きな挫折」に感じられ、ショックは大きくなります。
「子供に夢を」と言いますが、子供は力の面でも裁量の面でもできる事が少ないから、漠然と「夢」を描くしかないんです(だから夢が大切なのです)
逆に言えば、「夢」って苦しいですよ。大きければ大きいほど、実際には何もできない事の裏返しだから。
大人30年目の自分にとって、次々と眼の前に現れる現実に、それぞれ具体的に対峙する事こそがもっとも充足し、幸福感の源です。
大人は楽しい!!!