いやー、びっくりした。
自民党内の派閥って、闇の奥まで深く根のはった強固なモノだと思ってたのですが、
ヤバい!、かくなる上は!、自爆ボタン、ピッ!
ちゅどーん
…と、一瞬で消し去ることが出来ちゃうモノだったんですね。
まあ、漫画でも映画でも、簡単に自爆するのは大抵カモフラージュなので、より見えにくい形で派閥的なものが再構築されるのかもしれません。気をつけて動向を見張りましょう。
ところで、派閥政治に対しての憤りもありつつ、ある側面では「自然な姿」でもあると思うんです。
あんな大所帯の党の中で、全員の考え方が一緒なんてあり得ず、考え方の近い人同士が協力関係を結ぶのは当然です。
もちろん、思想カラッポなのに、「寄らば大樹の陰」の二乗で安泰したいだけで大政党の大派閥に属してるなどという者は、いますぐ
ちゅどーん
としてやりたいですが。
自民に限らず、やはり大政党というのは、内部での信条の一致という面でどうしても齟齬がでて来ます。
立民だって、皇統問題において馬淵澄夫氏や野田佳彦氏を熱烈に応援したくても、泉健太代表が倉山満のヘッポコ男系論に籠絡されているようでは、党全体を支持する事にちょっと躊躇してしまいます。
理想は、全議員が「個」人として、それぞれの議題ごとに考えを表明する形ですが、それが難しくても、もっと多数の党が存在して「臨機応変に筋の通った連立」をするという方が良い気がします。
ほとんどの場合で、政治家になる=政党に属するという形になってしまうのは、志の実現それ自体より「選挙で勝つため」でしょう。これが「ねじれ」を生んではいないか。
常在する政党を廃止した国会運営というのは、はたして可能でしょうか。
たとえば、選挙を徹底的に効率化し、公平な条件下で「個人」が選ばれる。政党助成金を廃止する代わりに、個々人の歳費の額を上げても良いし、臨時で必要な経費は国に請求できるような形にしても良い。国民が選んだ人物なのだから、組織の論理に埋没させるような仕組みを可能な限り排したい。
考えれば考えるほど「これはどうする?」という課題が出てきますが、それと対峙し続ける姿勢こそが「保守」なのだと思います。少なくとも、機能不全に陥っているシステムの放置・是認は、保守でも何でも無くただの怠慢です。
1975年生まれの私が選挙権を得た年(1995年)は自民党、旧社会党、おまけで新党さきがけの自社さ連立政権という状況でした。思えば、その時点で完全に出鱈目だったんですよ。理念が全然違う自民党と社会党の連立なんて、まったく筋が通らないもの。特大の出鱈目をやっちゃったものだから、みんな感覚がマヒしちゃった。
そこから30年近く経ちますが、中途半端な施策ではグダグダが増すだけで、より政治の劣化が進むだけでした。もちろん、その期間に国民であり有権者であった自分自身も戦犯の一人です。
だから、このグダグダは今の時代の我々が責任持ってなんとかしなきゃ駄目なんです。
自分は、公の行方を直接左右する政治家こそ「個」が確立した人物に務めてもらいたいし、政治は「個の連帯」であって欲しいです。
そうでなければ、日本の未来は
ちゅどーん
※この爆発のイラスト気に入っちゃったので、最後にもう一度使いたかっただけです(笑)