有名なゲームクリエイターの桜井政博さんという人がいます。
(その実績を簡単に説明すると、カービィの生みの親で、『大乱闘スマッシュブラザーズSPECIAL』(スマブラSP)は売り上げ3000万本以上)
この方がYouTubeでゲームを作りの理論を公開しています。
桜井政博のゲーム作るには
https://youtube.com/@sora_sakurai_jp
ご本人の目的がYouTuberになることではないので3分以内の短い動画が多いです。興味のある方は見てみてください。
CGやゲームというものがどう作られてるのかわからない方は多いかも知れませんが、基本的に漫画ともゴー宣道場イベントとも同じで、そこで見るもの、体感するものは、全て手作業で仕込まれたものということが見えてくると思います。
僕が桜井さんの言葉で感銘を受けたものに、以下のような言葉があります。
遊びの仕事は遊びじゃない 【仕事の姿勢】
https://www.youtube.com/watch?v=5DS_aGjo9zY
「作品を作る最終目的は”プレイヤーを楽しませること”に他なりません。何においてもそこは見失わないようにしてください」
お客さんに説明できるの? 【仕事の姿勢】
https://www.youtube.com/watch?v=otyLLbYDF1g
「すべて遊び手ベースの視点を持つことが大事です」
とにかくやれ!! 【仕事の姿勢】
https://www.youtube.com/watch?v=JV3KOJ_Z4Vs
「断言しますが、自らを鍛えるのは、あるいは成功に近づくのは、圧倒的に手数です。アプトプット少なくして成功なし」
ゴー宣で触れてきた思想と重なるところをビシビシ感じます。
たとえば、「遊び手ベースの視点を持つことが大事」というのは、一般的に言い換えれば、プロとして仕事の結果を受ける人の立場に立って仕事をするということなので、
漫画なら読者のため、音楽家なら聴く人のため、飲食店なら食べに来る人のため、建築物ならそれを使う人のため、弁護士なら依頼人のため、医者なら患者のため、公務員なら国民のためになってるかどうかが肝心ということになります。
少し脱線しますが、「遊び手ベースの視点を持つ」というのは、客に媚びることとは別です。
「媚びる」は自分が気に入られるように振る舞うことであり、つまりは己の都合のためであって、相手の立場に立って考えることとはむしろ正反対です。
桜井さんの発言では他にも「ダメ出しと改善案をセットにする」「(会社についての話で)働かされているという意識は払拭し、助け合って進められるのが何よりだと思いますね」など、仕事ができない人、仕事を嫌々やってる人には耳の痛いことも爽やかにさらっと言ってくれています。
まだまだ挙げればキリがありませんが、これら全てが桜井さんが提示するゲーム作りの論理となっています。
その論理は、あるいは当たり前のことを言ってるように聞こえるかも知れません。
ですが、その論理に基づいたことを自分が実践・実行できるかとなると話は別です。
事実として、世の中には論理を基にしたとは到底思えない面白くないゲーム(作品)も山ほどありますから。
新選組は「言ったことを成す」の「誠」の旗に集いましたし、頭山満も『大東亜論』で「志士は真実実行を旨とする」と言っていました。これらはそれだけ実践というものが難しいことを示しています。
ゴーマニズム宣言8巻の第133章にもこうありました。
「論理で行くぞー!中傷されてもたった一人でロンリィになっても……明るい論理で元気な倫理を建てなおせーっ」
この言葉で思ったのですが、導き出した論理を実行するのが難しい状況ということは、“周り”の意見とは違っているからなわけで、だからこそ「一人でいても淋しくない人間になれ」(by頭山満)が大事ということにもなるわけですね。
論理を自分で信じられず、ひいては世間の同調圧力に合わせてしまって実行できないなら、結局その人は論理的な行動をしていないということになります。
「コロナはインフルエンザと変わらなかった」という結論に到達しても、その論理に身を委ねることができず、健康なのにマスクをするという非論理的なことを止められない人が少なくないのは皆さんがご存知の通りです。
『戦争論3』にはこうあります。
「わしは最も単純なことを言う。自分の頭で考えなさい。自分で自分の国は守りなさい。」
これについて「俺はいつも自分の頭で考えてる」と返す人もいそうです。
けれども、それは本当に公について論理的に考え尽くしたものか?ということもある上に、仕事は結果を出すためにやるものなのだから、頭の中にしまったままでは意味がありません。
世間の空気や、しがらみや、恐怖を振り切って実行しなければ、結果には繋がらないので。
上記の言葉に戻るなら、「自分の頭で考えたのであれば、ではどうやって自分の国を守るつもりですか?」という話になるでしょう。
仕事にせよ、公論にせよ、導き出した論理に自分の命や人生ごと預けられる器量を持つということは、命が手段ということとほぼ同義です。
少なくとも、生きること自体が目的になってる人は、「保身」が第一だから無理なんだろうなと思います。
※ちなみに「いい作品を作る」には、論理だけではなく、他にもアイデアだったり、スキルだったり、情熱だったり、資金だったり、いろいろと必要な要素はありますが、今回はあくまで論理を実践することの大事さと難しさに絞りました。
【ケロ坊プロフィール】
昭和53年埼玉県生まれ。2001年から3DCGデザイナー、主にアニメーションが多め。ゴー宣については薬害エイズ事件の時に同級生と「今日厚生省前で何かやってるらしい」と話した記憶あり。公論イベントのグッズデザインに関わる。好きなアニメは『ひな鳥の冒険』と『カーズ/クロスロード』。心のゲームは『スナッチャー』。魂の曲は『誰しもいつか止まる心臓を』。
【トッキーコメント】
本物のプロフェッショナルの言葉はどこか通じるものがあって、納得がいくとつくづく実感します。
もちろん、言うは易く行うは難しで、本当に行っている人でなければ言葉の重みも説得力も全然違うことは、言うまでもありません。