先週土曜の「歌謡曲を通して日本を語る」の動画を
見た。
普段自己嫌悪に陥るから、自分の映像は見ないのだが、
大須賀氏の演出を見ておかねばならないからだ。
さすがに凝っていて、彼は彼なりに意欲的に実験を
重ねてくれることがありがたい。
わしは喋りに関しては重要な時代考察を語っていて、
満足しているが、歌は「安奈」だけは声が出ているが、
あとは没入感がない。
歌と喋りの総合点は、チェブリンは100点、わしは40点
と評価した。
実は右目が緑内障で遠くに映像として映る歌詞が見えない。
遠くのモノに焦点が合わないからぼやける。
必死で見ていると涙が溢れてきて、映像がボケてしまう。
手元にある歌詞しか見えないのだ。
歌詞を読むのに必死で、歌への没入感が減少したのが
失敗だった。
例え伏し目がちになっても、歌詞は手もとに置くしかない。
そして練習量が圧倒的に足らない。
当然だが、漫画制作に時間が取られ、練習する暇がない
のだ。
とことん歌い込まなきゃ、一曲の完成度は高くならない。
チェブリンは楽器演奏とコーラス、両面で努力の成果が
出ていた。
チェブリンは毎日練習していて、本当に凄い。
何よりわしの隣りで明るくパフォーマンスしていて、
それにずいぶんわしは助けられている。
番組の明るさを彼女が担保してくれているのだ。
だが、自己評価が低いと、チェブリンに叱られてしまった。
もっと練習量を増やすと宣告された。
これは壮大な実験であり、冒険なのだから、チェブリンに
しごかれても、やるしかないのです。