皆さん、おはようございます。
ゴー宣ジャーナリスト水曜担当のしろくまです。
今年もあと残りわずかになってきました。今回は、戦争と宗教の関連で美術の観点から、
マルク・シャガールを紹介します。
シャガールの絵は青色と人物が宙にふわっと浮いてるような、なんとも不思議な絵。
皆さんも一度は見たことがある印象的な絵だと思います。
「私と村」1911年マルク・シャガール
後でシャガールの生い立ちや作品を知ることで、文化・宗教、祖国を失うこととは?
そこで「日本」、「日本人とは」を改めて考えるきっかけにもなりました。
シャガールはロシアの寒村ヴィテプスクの労働者階級に属するユダヤ人の家庭に1887年に生まれました。ここではユダヤ教とキリスト教が共存している地域で一つの歴史だけでなく政治的にも変化が多く14世紀ではポーランド・リトアニア領だったのが18世紀でロシア帝国の一部になりました。ここヴィテプスクは特に音楽と演劇の分野で活気のある文化的生活をしていたのは知識階級のほとんどがユダヤ人でしたが、シャガールが住んでいたのはそこから離れた田舎の方で、学校では反ユダヤ主義に悩まされ、ロシアとユダヤ人に対するキリスト教からの攻撃である”ポグロム”をシャガールは直接目撃していました。
故郷ロシアから都パリにやって来て芸術が花開き、上の絵「私と村」は、パリの風景というより故郷の風景のような山羊や農夫など身近で親しいものを描いているものが多くありました。
故郷から離れたことも説明していました。
「当時私は、自分にはパリが必要だということをはっきりと知っていた。私の芸術の根を養った土地はヴィテプスクであった。しかし私の芸術は、あたかも樹木が水を必要とするようにパリを必要としていた。それ以外に私には、生まれ故郷を見棄てるどのような理由もなかった。いや今でも私は、自分の作品を通じて、私の故郷に忠実であると信じている」
他国にいても絵の中には故郷の生活文化や宗教観など含まれていて、紛争、戦争やユダヤ人差別など、多く描かれていました。
第一次大戦時、故郷に戻り、ロシア革命が起こりました。一時、革命政府の美術行政にも参加していましたが新政府の方針が社会主義の方向へ大きく転向していくのを見て失望し、1922年に故郷を離れてパリに戻りました。
「革命」1937年マルク・シャガール
中央には逆立ちするレーニンの姿が描かれ、それを悲しげに悩んでいるユダヤ人、左側には赤色に染まり革命に群衆が群がり、右側は民衆の芸術や音楽、画家が愛する世界があり、そこに赤い旗が立たされている。文化の世界にも入ってきていることを暗示している絵です。
この絵から、当時の人々と社会の状況、画家の心情が伝わる作品だと思います。
後に、シャガールはナチスのホロコーストから逃れるためパリからアメリカに亡命し、終戦後に一度パリに戻った時、多くの生き延びたユダヤ人、生存者、故郷を戦禍で失いこれから住む場所も分からずにいる多くの聴衆の前に語った「わが祖国」の詩を朗読し、最初と最後を結んだ言葉は、
「私の魂のなかに生きている国 それだけが私の祖国」
「魂の中に生きている祖国」、この言葉に衝撃を受けました。多くの作品を通して、今、自分たちが住んでいる日本。文化や社会、日本がずっと続いていくことが当たり前だと思っていてはいけないと改めて思いました。私たちは何を守らないといけないか、よく考えないといけないと思います。
次回は、今回と同じく関連することを綴っていきます。
【トッキーコメント】
世界中には自分の祖国、宗教、文化を失うという境遇に置かれた人はいくらでもいます。
日本人だって、本当は大東亜戦争に敗れたら国を失うかもしれないという意識があって、だからこそ必死に戦ったわけですが、その記憶が消滅させられてしまったことが非常に問題だったのではないかと思います。