「ゴー宣道場」が漸進的に変わっていく必要があるのは
当然のことで、時期が来れば大きく改革することもある。
最近の門下生の登用などは画期的に「ゴー宣道場」に
活力をもたらしている。
わし自身も漸進的に変わってきたのであって、変化後に
ルサンチマンを残しても仕方がない。
徐々に次世代に任せていかなければ、権威主義に堕して、
社会への影響力が減退していく。
「愛子天皇」運動が大衆運動にならず、我々だけの運動
の範囲に留まっているのは、「啓蒙」の限界が来たから
である。
啓蒙された者たちによる「論破祭り」は、男系固執派の
暴走にブレーキをかけた。
男系勢力も屁理屈がカルトにまで堕しているから、
これ以上拡がることはない。
ここまでは「啓蒙」の成果である。
だが、自覚的な双系(愛子天皇)勢力もこれ以上の人数
にはならない。
本来、皇統問題での「啓蒙」は、政治家にすべきであって、
国民・庶民に行なうことではない。
わしや門下生はもう十分勉強した。
だが、それでも知識欲のある者たちのために「啓蒙」は
必要だろうが、一般国民はこれ以上の知識を吸収する暇は
ないし、愛子さまを皇太子にするための威力にはならない。
一般国民は「なんとなく愛子さま」であって、本来は
それで十分だ。
その上、「神々しいから愛子さま」と言う人が確実に
いるのだから、これは愛子さまご自身のオーラによる
ものであり、国民運動のせいではない!
来年の「ゴー宣道場」は「啓蒙」よりも「祭り」で行く。
大須賀氏には大いに活躍してもらう。
「なんとなく愛子さま」を集結させる運動にしなければ、
関心ある人数を逆に減らしてしまう。
まず閉塞感を感じるか否かが問題であり、感じたら急いで
打開策を考えて突進していく。
来年はそういう年になる。