おはようございます!三味線です。
先週すでに大須賀さんとゴーさんが言及されましたが(先を越されてしもーた(ノ∀`))、
https://www.gosen-dojo.com/blog/43414/
https://www.gosen-dojo.com/blog/43425/
今回は、ちょっと別の切り口から参りましょう!
<村上春樹氏の言説>
「最近のジャニーズ問題の報道を見ていて、勇気を出して声を上げることの大事さを改めて痛感させられました」
「しっかり声を上げる、空気なんて読まない、忖度もしない。そういう人たちの存在が、たとえ少数ではあっても僕らの社会には必要」
ジャニーズ問題の報道を見ていて「嘘は言ってはいかんなぁ」と思ったのですが(笑)、たしかに、声を上げることも、空気を読まないことも、忖度もしないことも大切です。しかし、それは真実や真理に対して誠実であることが前提です。その前提を失うと、冤罪を誘発したり、人民裁判などが暴走するからです。
たとえば、群馬県草津町の元女性町議のように「声を上げた」ものが、実は大嘘だった例もあります。その議員が「上げた声」を何の検証もせずに垂れ流し続けたマスコミやフェミニストたちは、いまだその説明責任を一切果たしていません。そしていまも、「誹謗中傷」という看板(偽善者用語)を楯にして、ジャニーズ問題の自称被害者たちの言説をいまだ何の検証もせずに逃亡しています。
昭和には「4大公害」が認定されましたが、そういった無検証の大嘘情報の垂れ流しも、厳重に取り締まって欲しいくらいです(「報道被害損害賠償責任法」を立法して欲しいと強く願います!)。
なぜ彼らがいつも狂っているのかという話は、前回東北ゴー宣道場でも熱く語られましたね。
マスコミはなぜ常に狂うのか?「第112回ゴー宣道場in東北」
https://live.nicovideo.jp/watch/lv343217610
もう20年近く前から思っているのですが、概して人間の集団には、どのようなコミュニティにも、以下のような、厳然たる知的ヒエラルキーが存在していると思うのです(たぶん、スラム街でも、東大でも、これに当てはまるはず)。
大概「優れた意見」というのはごく少数派で、よしりん先生が少数派なのも、ずば抜けて優れていることの証明でしょう。それに対して、「そうでない意見」(端的には「バカな意見」「バカな層」「教科書的同じ意見」ですが)、これは圧倒的に多い。(ノ∀`)
そりゃ、マスコミ営業的には、真実かどうかよりも、パイのデカい「そうでない意見」に忖度した方が儲かるに決まってますし(だから狂ってばかりなのですが)、このまま多数決(功利主義)をとると、バカばかりが当選するいまの選挙制度のようになります。
本来であれば、少数派である「優れた意見」は、真っ当な情報提供や議論によって、下層まで浸透・拡大されて行き、「そうでない意見」は次第に淘汰されて行かなければなりません。また「声を上げた」少数派でも、そこに真実がなければ、当然淘汰されるべきでしょう。
そういった社会的役割を担うのがマスコミだと思うのですが、今の彼らには少し荷が重そうですかね。(´・ω・`;
なお、この図の例外として、少数派を気どって(超絶バカなのに)いかにも「優れた意見」であるかのように虚飾されることが結構あります(とくに雑誌界隈)。たとえば、各種陰謀論や、ウクライナ悪論、男系男子継承が皇室の伝統、などの大嘘をいまだ喧伝する者がいますが、これらは単なる売名・マウント目的でしょう。雑誌とはいえ、裏取りや検証をしなければ、公害の垂れ流しと同じですね。
【三味線 プロフィール】
生業の道路・河川・港湾等における電気通信設備設計の傍ら、大学等で技術者倫理,エンジニアリング・デザイン(設計論)の非常勤。酒と煙草と本と映画と音楽とブラックユーモアを愛し、差別と偽善と全体主義が嫌いなノラ猫型。趣味は多趣味。ゴー宣道場では主にPA廻りを担当。
【トッキーコメント】
本当に「報道公害」が認定されて、「報道被害損害賠償責任法」が制定されればいいのにと思うばかりです。
よしりん先生が常に「少数派」にならざるを得ないというのも、腹立たしい限り。
しかも、表現自主規制問題にしろ、歴史認識問題にしろ、よしりん先生が「少数派」としてリスクを背負って切り拓いた道に、後から何の覚悟もない人々がどんどん参入して、数が増えたと思ったら(といっても、全体の割合から見れば全然「多数派」にはなっていないのだが)、質がとんでもなく劣化していくという、ろくでもない現象が起きてしまいます。
「知的ヒエラルキー」の問題、克服する方法はないのでしょうか?