AIを「育てる」にあたって、元となるコンテンツの著作権との兼ね合いは大きなテーマでもあるのですが、今回触れたいのはその部分ではありません。
この「学習」の過程においてAIは、単にテキストや画像のデータという形ではなく、あらゆる「文脈」も吸収し、それを運用できるようになっています。
ためた知識(データ)を、その時々の文脈に沿って運用する力。これは人間における「教養」と呼ばれるものに、極めて近いと言えるでしょう。
そして、AIには功名心や劣等感といった、バイアスの原因になる要素がないため、生身の人間以上に純粋な「知的存在」になれる可能性まで存在します。
さあ、いよいよ人間いらない?
そんなの本末転倒ですよね。
人間にしかできない最大の要素は「こうしたい!」という〝意志〟を持つ事です。
意志は、発する事による責任や、時として不合理な選択をも生みますが、それ無くして一切の物事は前進しません。
ところで、男系男子限定で安定した皇位継承が可能かを、ChatGPTに聞いてみました。
単なる私的欲求を超えた意志は、見聞を広め、繰り返し考えた先にか生まれません。それこそが「人間がキャンセルされない」唯一の道と言えるでしょう。