ChatGPTが示したお題に生身で答えるシリーズの3回目。
いよいよ面倒くさ…もとい、一層複雑さを増してきた今回のお題は「AIによる悟りの可能性」です。
その前提となる「悟りとは何か?」がわかったら、これを書いてないで今すぐ新しい宗派を開闢した方が良いかもしれませんが、お題の文中にある「AIが自己認識を持つことは可能か」は比較的容易に回答可能です。
むしろ(AIを含む)コンピュータプログラムやそれが制御する機器は、人間以上に「自己」と「他者」を明確に区別していると言えます。
機器(の中のプログラム)同士が通信を行う際は、かならず「ネゴシエーション」というプロセスが入り、機器それぞれが「私はこういうものです。これから、このような決まりに沿ってデータを交換しあいましょう」という折衝が行われます。ビジネスマナーばっちり(笑)
ネゴシエーションが成立しなければ、一切の通信は行われないので、むしろ「自己完結こそが基本」と言えるかもしれません。
一方の「人間」は、例え言葉によって直接命令されなくとも、周囲の様子が気になってしまい、違いに気付くと「俺もみんなと同じにした方が良いのかな…」と「空気を読んで」行動してしまう事が多々あります。
この場合、その人の行動を決定したのは「自己」なのか、それとも「他者」なのか、なんとも判断に迷いますね。
人間が「自分の意志」と思っている事柄は(特に、社会の中で生活する人ほど)実際には自己完結とは正反対の、周囲への忖度に他ならないのでは、と思います。
コンピュータのプログラムやプロトコル(通信における決まり事)は、意図的な書き換えを行わなければ「やっぱり…みんなに合わせてこうしよっかな」などを変わる事が無いので、ある意味「究極的に強固な自己」と言えるかもしれません。逆に考えれば、Artificial (人工的)に作られたIntelligenceは、自ら自己の殻をやぶり、他者の意識と一体化することはできないのです。
という結論(?)に達しましたが、私のコンピュータへの理解は、すでに旧来のものになっている可能性もあります。
最新のAIにはもっと「人間の精神活動に近い構造」までが備わっているかもしれませんが、そうすると忖度、嫉妬、独占欲、不安といった面倒くさい概念までが生じてしまい、むしろAIの性能が落ちだすかもしれないですね(笑)