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大須賀淳
2023.11.15 21:11その他ニュース

【連載】AI禅問答:第8回「デジタル断食と内省」

今回は、ChatGPTが示したテーマへの考察第2回。

 

デジタル断食と内省」について、生身の立場から答えてみます。

 

一般に、SNSやWeb、及びそれらを司るスマホやパソコンといった機器から意図的に遠ざからる事は「デジタル〝デトックス〟(解毒)」と呼ばれますが、ChatGPTが示した「デジタル断食」という語からは、単なるイメージ的な言い換えにとどまらない、根本部分の違いを感じます。

 

「デトックス」は、毒素・老廃物といったものを体外に排出し、疲労回復や機能改善を行うといった考え。ゴール地点は「快感、清涼感」であり、サウナでの我慢と行った軽微なものを除けば「耐える」という概念は希薄です。

 

ゆえにデトックスは、身体で言えばエステティックサロンのように「嗜好品」的に存在することが可能です。

 

現在では、一定の経済、時間、そしてその延長線上の精神的なゆとりが無いと、デジタル機器から離れた過ごし方をするのは難しいもの。それを「容易に戻ってこられる」レベルで行うデジタルデトックスは、戯れの範疇を出るものではありません。

 

一方「断食」は、平穏な生活に戻ることなど微塵も考えずにとにかく「断つ」のです。ニュースもマンガも断って観たい、知りたいという欲望と決別し、SNSもメールも一切無視することで「社会的な死」へと自ら飛び込む。

 

もちろん交通系やクレジットカード、電子マネーはおろか、ATMも使わずに経済活動からも解脱。究極的には、マイナンバーの拒否で医療や戸籍、国籍すべてを放棄して究極の自由に!!!

 

…と想像すると、過度な断食修行は、一見すると真逆に見える、酒池肉林に全財産を注ぎ込むような「放蕩」と何ら変わりのない、やりたい放題やって自ら破滅へと飛び込む自殺行為という事がわかります。

 

無闇な断食を高尚なものと思い悦に入るのは、キャバクラやホストクラブでドンペリシャンパンタワーうぇーい!に入り浸るのと同じ。考え続けることを放棄した結果、心が飢えているのです(俺いい事言うなぁ!うぇーい!と悦に入ってみる)。

 

一切の堕落を拒否しようとするとオウム信者になってしまうし、変化の拒絶はくされ脳ダンケー固執者と同じ。

 

デジタルツールも「自分を一番自由にしてくれる束縛」の一部として付き合えるのが一番なのかもしれない、と、当然デジタルのキーボードを使って書いて締めといたします(笑)

大須賀淳

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