知り合いのススメで、久し振りに小説を読んだ。
湊かなえ『夜行観覧車』。
おもしろかった〜。
人間のどうしようもない卑劣さ、無責任さ、傲慢さが
高級住宅街で起きた殺人事件を舞台に描かれる。
詳細は省くが、ここには世間体ばかり気にする住人と、
自分が正義と信じて疑わない住人が出てくる。
読者である私は、
住人Aの「世間」に振り回される思考回路に辟易する。
また別のシーンで、
この住人Aを的確に批判してみせる住人Bが登場する。
おおう、そうだ、その通りだよ!
けど、この住人Bも、我が身可愛さで誠に卑劣な行為に出る。
あーあ、なんでだ。
この住人Bを、良識をもって批判する住人C。
Cさんよ、あなたは正しい!
しかしCは自分の正義を疑わず、実に悪辣な行為をする。
……ウン、結局、人間ってそういうものだよね。
(※実際の作品はもっと複雑な人間関係が描かれています)
読み手(他人事)として、正論を振りかざしているつもりの自分も、
ここに出てくる住人たちと何が違うというのだ?
卑劣ではない、無責任ではない、傲慢ではないと、
言い切れる何ものかを持ち合わせているだろうか?
同じ立場に立ったら、同じことをしないと
言い切れるだろうか?
清濁併せ呑んだ存在であることを認め、
必ずそこに保身の要素があることを認め、
本当に正しいか?と批判的に検証してみることでしか、
バランスを取ることはできない。
そうまでしたって本当に「正しい」と言える道を進んでいるのかわからない。
だからたゆまぬ自己批判、検証が必要なのだ。
もちろんこれは苦しい作業で、
怠けたくなる自分を叱咤しながら、だ。
ジャニーズ問題で「自分は正義だ」と疑わない人を
私は信用しない。
皇室問題で「自分こそ伝統を理解している」と
信じて疑わない人を、私は信用しない。
「自分は無謬の存在である」と思うこと自体が
何よりの誤謬なのだ。
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