皇室において、とっくの昔に側室制度が無くなり、
一夫一婦制に移ったにも拘らず、皇位継承資格だけは
何故か明治以来の「男系男子」に限定し続けるという、
明らかに“ミスマッチ”なルール。それにいまだに執着する人らがいる。
そもそも、どうして男系男子に限定しなければならないのか。
この最も初歩的な問いかけに対する答えが、どんどん“痩せ細って”、
今や無回答のまま思考停止に陥ってしまった。最初の回答は、明治の皇室典範の制定に際して井上毅(こわし)が
提出した「謹具意見」(明治19年)に示されていた。
そこに掲げられた主な理由は、以下の通り。過去の女性天皇は“中継ぎ”に過ぎず(→現代の歴史学では否定)、
「男尊女卑」の観念が社会的に根強い中で女性天皇が婚姻されると、
配偶者の男性が君主より上位と見られかねないこと
(→堂々と男尊女卑を理由に挙げていた)、
古代シナに由来する男系血統の標識である「姓」を前提とする限り、
女性天皇が例えば“源”姓の男性と婚姻するとそのお子様は
“源”姓と見なされること(→既に「姓」の制度は廃止。
ちなみに源姓の男性であれば血統的には「男系の男子」
なのだが、既に皇籍から離れて年月を経ているので、
名分上「皇統」とは見なされなかった)、
側室制度の手当てがあれば男系限定でも無理はないこと
(→これが切り札!)等。次は、現在の皇室典範の制定に当たって法制局(内閣法制局の前身)
が用意した「皇室典範案に関する想定問答」(昭和21年)。こちらはシンプルに、(男系主義に基づく「姓」“的な”観念によれば)
女性天皇が皇族以外の男性と婚姻された場合、そのお子様は配偶者の
家系のお子様と見られかねない為、とした。明治時代に井上が掲げた理由は既に“時代遅れ”になっており、
そのまま踏襲できなかった。
なので、昭和20年代でも説得力を持ちそうな論点に絞っている。「姓」の制度が明治4年に廃止された後も、
明治典範制定の当時には社会意識としてまだ残存していた。
だが昭和典範制定時には、その意識が更に希薄化しており、
さすがに「姓」という語自体はもう使われていない。しかし一方、漠然とした観念としてはなお一定の規制力を
保っていたことから、それが唯一の理由とされた。
しかし勿論、現在ではもはやそれも理由にすることはできない。
そこで、理由の“引き算”が進んでしまい、遂にこんな発言が
飛び出すようになった。「(それが伝統だから)そもそも理由などどうでもよい」
(竹田恒泰氏『伝統と革新』創刊号)と。先頃、開催された「世界に咲き誇れ日本 安倍晋三元総理の志を継承する集い」
(7月8日)でも、安倍氏のスピーチライターだった谷口智彦氏が
以下のように述べられたという(『祖國と青年』令和5年8月号)。「天皇がなぜ男系でなくてはならないか。
それは近代以来のモダンな政治の言葉では、どだい説明が出来ないものです。
続いてきたという重い事実。そこに根拠があり、有無を言わさぬものがある」同氏は、過去の男系継承が“側室の支え”によって
「続いてきたという“重い”事実」を知らない。
更に井上や法制局がそれぞれ、男系限定の理由を「モダンな政治の言葉」
で“説明”しようと、懸命に努力した事実すら、知らないだろう。そうした基礎知識もなく、「有無を言わさぬ」などと虚勢を張って、
肝心な理由説明から一目散に逃げ出した。情けない。
しかし、安倍氏のスピーチライターによる安倍氏追悼集会での
スピーチだから、恐らくこれが男系限定論の現在の最高レベルだろう。以前、こんな出来事があったのを思い出す。
神社関係者の集まりで男系論者が
「なぜ女性天皇を認めてはいけないのか」というテーマで、
高尚そうな講演をされた。
その後、質疑応答の時間に「先生、でもどうして女性天皇を
認めてはいけないのですか?」という質問が出される。
すると、講演者は回答に窮して立ち往生され、会場がざわついたという。
愉快な逸話だ。【高森明勅公式サイト】
https://www.a-takamori.com/
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